夜行記 - 1

 自転車で東京を発って五日、滋賀県栗東市に着いた。途中で伊勢湾フェリーによるショートカットはあったものの走行距離は五百六キロメートルになった。暑い日中を避けて夜間走行しようとの目論見から夜行記と名づけて書き始めたが、夜に歩道のない国道を走ることは恐ろしい。どうかトレーラーに引っかけられないようにと冷や冷やしている。現在は道の駅にテントを張り、緊張が解けてひどく眠い。

 右のメールフォームから何か書いて送ると俺が喜びます。匿名可というか推奨。体重が四キロほど落ちた。食事でもどうか、なんて、そんなことは期待してないけれど、本当、何でも良いです。さあ寄越せ。

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夜行記 - 2

 一日、琵琶湖周辺でのんびりしていた。大津市内のネットカフェに宿泊中。明日は京阪神を通過して明石あたりまで行きたいが、体力と気力が切れかかっている。暑さが厳しいので食事がウィダーインゼリーなどに偏りがちになり、エスビット(固形アルコール燃料)とシェラカップを未だ使っていない。明日こそ自炊をしよう。

 以下は、頂いたメールの返信。眠いので適当。

夜中走るのはお薦めしないぞ。気をつけて。

 昼と夜は眠っていて、朝と夕に距離を稼ぐのが良さそうです。

交通事故と隕石雨に気をつけて、旅を楽しんでね。

 当分は晴天が続くらしいので大丈夫。

いいなー。やりてー。

 俺も、やりてー(伊豆諸島で素潜り漁を)

夜行記 - 3

 大阪府豊中市では三十八度の暑さに遭い、四国に渡ろうと淡路島に行ったはいいけれど鳴門海峡を渡れずに現在は明石に戻ってきた。これからは山陽を西に向かって走る。積算距離は八百二十六キロくらい。ワイヤレスの速度計を使っている為に電波塔の近くを通ると時速八十キロを表示したり誤差がけっこうある。使えない。

 予定では水曜に広島、週末に九州上陸、来週は福岡で友人に会い、長崎では知人宅に泊めてもらうことになっている。祖父がそれまで生き長らえていれば。二週間ほど危篤が続いていて、一度は静岡県で旅行を中断して帰ったのだった。脳の八割方が機能しなくなっているから快復は望めない。視聴覚と触覚を失って点滴で生きている祖父は、祖父に見えないけれど、帰って土産を渡すまでは長らえていてほしい。

 そんな訳だから自宅とは頻繁に連絡をとっており、普段あまり使わない携帯電話を持参している由。以上は明石海浜公園から。

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夜行記 - 4

 本州最西端、山口県下関市に到着。十五日間で千三百七十七キロ走った。今夜は関門海峡花火大会をみて、明日の朝、九州に渡る。広島の手前を走行中にハンドルが突然壊れて利かなくなり、すっころんで血みどろになったり、ユースホステルでは久々に蒲団で眠ったらばひどくうなされた。西へ向かっている為に最近は日没がとても遅い。

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夜行記 - 5

 諫早市の運動公園芝生広場に泊まっている。修学旅行で廻ったルートとは異なるけれど締切堤防や干拓地を撮って廻った。干拓竣工記念碑が一つ、漁業組合解散記念碑が二つ。昭和に拓かれた土地はすでに広大な田畑となっており、土に混じった白い物がそれらすべて貝の死骸と判ったときは吐気がしたが、肥料にはなるかもしれない。平成以降の新しい工区は四年前と変わらない草原で、昔の諫早湾である調節池は緑色をしていた。写真は堤防の外側、有明海。

 道端に座って話し込んでいた老人に泊まれる公園はないかと尋ねたらば、颯爽と携帯電話を取り出したので驚いた。――なんかいま埼玉から自転車のひと来てんだけど泊まれそな場所ないかねえ、と調べてもらったこの公園はとても居心地がいい。ちなみに電話をかけた先は友人かと思ったのだが、諫早市役所だったらしい。長崎県に入ってからは随分と話しかけられたり蜜柑をもらったりで、昨夜、激しい鬱で眠れなかったことが嘘みたいに浮ついた一日だった。明日はどうだろうか。

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夜行記 - 6

 大村市のTさん夫妻宅に二晩泊めて頂いた後、フェリーで有明海を渡り、阿蘇山のカルデラに入った。内牧温泉のライダーハウスは建物が立派なつくりで清潔な蒲団もあって一泊が八百円、近くのスーパーには二百円の弁当があり、町湯は百円、こんな環境であるから引籠りのような滞在者がごろごろと居る。自転車に較べてオートバイならば出発は遥かに容易と思われるけれど、すべては雨のせいで、唐突に降り始めては数分で止み、陽が射したと思えば風が吹いて雨になる。同室の大学生は五泊目、出発日未定。

 俺と同い年の自転車旅行者H君は、大阪府羽曳野市から走ってきた。芸大を後期休学して石垣島を目指すという。演劇をやっていた為に体力は相当のものがあり、初めての旅行で既に二千五百キロ走った。朝市に行くと野菜などいろいろ只で持たされて食費が一日に四百円で済むと話していた。とてもかなわない。そのH君と連れ立って中岳に登った。内牧が標高五百メートル余り、中岳火口展望台は千五百メートル近い。喋りながら並んで走り、二時間かけて草千里ヶ浜に着いた。ソフトクリーム、だご汁、馬串を食べ、草千里と烏帽子岳とを俺は写真に撮り、H君は絵に描いた。擂り鉢のような中岳火口からは白煙が頻りに立ち上っていた。火山ガスを胸一杯に吸い込んで下山。

 宿へ戻るとH君は弁当を食べて荷物をまとめ、雨の中、午後五時なのに高千穂を目指して旅立った。意味が解らないけれど、自分はこのライダーハウスから、あの天幕生活に戻れるだろうか、そう考えれば今すぐに出発すべきだとは思う。眠いのは雨のせいで、明日は部屋に籠もり、山本周五郎『さぶ』を読んでゆっくり過ごしたい。

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夜行記 - 7

そっちはそろそろ台風抜けた? 抜けたらそろそろ出発のタイミングだね。

 唐突に青空が広がった昨日の昼、多くのライダーが急ぐようにして阿蘇を離れ、僕も慌てて荷造りをして出発しました。

 高森峠を越えて宮崎県高千穂町へ。道の駅で会った初老男性は夫婦で旅行して廻っているとのことで、面白い物を見せてもらった。道の駅スタンプラリー。九州各地に約八十ある駅のすべて、五千六百キロを走ってスタンプを揃えたなら記念品を贈呈、と公式スタンプ帳には書かれていた。但し奥さんを連れているので観光名所に寄らなければならないから厄介だと彼は嬉しそうに言い、弁当を食べていた俺にお茶をくれた。

 現在地は宮崎県日向市。九州に入って物を貰うことが多いけれど私をあげるとかいうのは未だない。鹿児島県に期待したい。

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夜行記 - 8

 宮崎県南郷町から都井岬まで、海沿いの起伏が激しい道を進む。海抜二百五十五メートルの断崖に立つ燈台からは海と空が半々の広さだった。どこから来たんですかとアベックに声をかけられて少し話した。燈台周辺を一通り見てまわって帰りかけたとき、再び先程の女の子に声をかけられ、小さな木製らしき鈴をちりんと鳴らして手渡される。

 「今、そこのお店で買いました。宮崎名物の、柿の」
 「種ですか」
 「じゃあね、がんばってね」

 一人に戻り、呻きながら時速六十キロで急坂を下った。生温い風に髪が逆立つとそこから愉悦が湧き上がっては後方に零れていき、腑抜けのようになると思われた(文学的表現)。頭に焼きついた声を振り切るべく炎天下を西へ向かい、宮崎県串間市から、県境を越えて鹿児島県の志布志、大崎、鹿屋で日が暮れても止まらずに、垂水から桜島に入ると真暗闇になった。

 道端の看板には、桜島が爆発したときは通行止になります、とある。火山弾に備えた避難壕が本当にあるものだから恐い。今回の旅行ではおそらく最後の夜間走行になると思い、前照灯を時々は消して走った。天の川が見える。フェリー乗場の周辺に国民宿舎、温泉、道の駅がかたまっており、そこで走るのを止めた。鹿児島県桜島町に二十時二十八分到着、朝から百四十六キロ走行。弁当を食べ、温泉に浸かり、深い眠りにおちて朝を迎えるとようやく落着いた。鈴は貴重品袋に入っている。手触りが心地よい。時間が経つと少々におうかもしれないと女の子は言っていた。

 現在は鹿児島市内のネットカフェにいる。何かしっかりした食事を摂り、コインランドリーも探して、十八時には本部港行きフェリーに乗る。本土からの更新はこれで終わり。

夜行記 - 9

 西八王子から二千四百六十四キロ走って喜屋武岬に着いた。次の目的地が見当たらない。何をしたいのか判らない。

夜行記 - 10

 頭と体を少しばかり病んでいるので最近一週間の出来事については割愛。那覇市内で一泊千円の安宿に避難している。近所のスーパーに行く以外、引き籠って読書。台風が過ぎ去ったらば本島一周に出掛ける。出発前には五十九キロあった体重がそろそろ五十三キロ台に入りそうだ。脚が細くなった。以下、メールの返事。

ととろ駅ナイス。カルデラって一面平らで、なんだか不思議な気持ちにならないか? 自分も、また歩いてどっか行こうかなと思った。諫早湾は民主党は開放するんだっけ? 今回の選挙では言及しているところを未だ見てないな。

 カルデラは外輪山が同じ高さで取り巻いているのが不思議だった。あまりに大きいので途方に暮れる。八王子みなみ野あたりの小さな世界を懐かしく思った。民主党は前回の長崎知事選では金子氏を推薦していた気がするよ。今回の選挙ではマニフェストを読んでいないから言及しているか否かも知らない、というか俺は投票できんのだろうか。

とりあえず首里城まで行って、首里そば食べなよ。うまいよ。あと、新垣カミ菓子店のちんすこうも。

 首里城まで行って城壁を外から眺め、節約した入場料で首里そばを食べに行くと混んでいたので、牧志市場の店でゴーヤチャンプルーを食べました。沖縄産のゴーヤは苦味が少ないと予め聞いてはいたけど本当に旨かったです。市場で試食したゴーヤの漬物は、微妙でした。

船室って取ってあるのかい? 授業で伊豆大島に行ったときは廊下で寝た。でも料金はそんなには安くなかった。

 カーペット敷きの広間に蒲団がたくさん並んでいて、切符を買うときに指定席番号を貰うけれど、実態は指定蒲団。ちなみに料金は学割適用と自転車を合わせて一万二千三百六十円。

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夜行記 - 11

 二段ベッドの上段に横たわり、窓の外の大きく揺れる木を見ている。こんな遠いところまでどうして逃げてきたかといえば自己変革とか大層なもんではなくて、ただ、静かな砂浜にテントごと半ば埋もれて眠ることを夢想していたからに過ぎないけれど、沖縄本島南端の岬に着いたとき、呻き声すら出てはこなかった。音のない場所のないことがどれだけ絶望的かを伝えるのは諦める。絵具を溶かしたような青色の海と、風にゆれる背丈の高い草、ラジカセから流れる音楽、音楽の発信源である物売りの軽トラックは缶飲料をばら撒きながら海に落ちればいいと思った。

 一方では帰る場所が見つかったと安堵していた。毎年二万人が沖縄県に移住していることを思い、自分もまた離れ難くなることを恐れていたけれど、ここに定住したいとは思わない。綺麗なのは海だけだった。誰かの文章か格言だったか、若い時分に訪れてはいけないとされている場所があり、最早その土地に行くしかないと思い始めた。来週には東京行きの船に乗って帰る。来年か再来年には行って走れるように準備を始めたい。台風が去らないので今日は昼にペンネを茹でて食べた。また眠りにつく。

首里そば断念したか。残念。牧志の近くなら丸安そばがいい。もしかしてそこでゴーヤーチャンプルー食べたかな。

 当時、空腹で倒れかけていた為、店の名前は見なかったのでした。市場では青切り蜜柑を買って食べた。酸味があって旨い。

体重が減るのは、まるでマラソンみたいだなぁと感じた。沖縄まで自転車ってじっさい物凄い。大事を成し遂げたあとはゆっくりしてけばいいさ。あんますることないかもしれんけど。ケータイってどれくらい点けてます? そして充電はどこでやってる? 公園とか適当なビルとかで電気を盗む? それともコンビニでカネを支払って? 今度歩いてどっか行くときの参考にしたい。

 ほつれた服や、こわれた鞄の修繕など、することはたくさんあるさ。自分はむしろ甘いと思ってた。暑いときは大型電器店に入ってマッサージ機で眠ったり。店からすれば迷惑。携帯は朝と夜にまとめてメールを受信するとき以外、電源を切ってた。これでけっこう長く保つ。単三乾電池二本使用の充電器を持ってる。でも敢えて君には盗電を薦めてみる。

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夜行記 - 12

 現在地は沖縄県 国頭郡 東村 魚。
 ヤンバルと呼ばれる本島北部の山地を通り、辺戸岬へ。

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夜行記 - 13

 本島に暮らすならヤンバルだと思った。名護以南は人が多すぎて今となっては海も綺麗には見えない。明後日からゼミの仲間と合流して彼らと遊んで、あと、摩文仁を訪れれば、終わり。諫早市に上陸した台風によって山陽道が崩れ、錦帯橋は橋脚が流され、高千穂鉄道は橋が無くなり、垂水では川に人が呑まれた。通過してきた場所が悉く破壊されている。台風とは関係ないけど見沢知廉が亡くなった。埼玉に帰ればマンションの建設が始まり、柿農園が消えてんのだろう。ちょっとなんだか慌ただしい。

夜行記 - 14

「下水道 いつか私に 戻る水」
 という標語を、豊見城の国道沿いに見た。循環する水を大切にしようと言いたいのだろう。

「下水道 いつか私が 通る道」
 自分でも考えてみたが、とても、いやだ。

 ゼミの人々は飛行機で東京へ帰った。彼らの水遊びに付き合ったけれど、内輪で遊ぶだけなら沖縄まで来る必要もなく、遊び場は関東に幾らでもある。つまらないから途中で抜けて本を読んでいた。沖縄くんだりまで来て読書かいとも思った。

 本島南部を一人で巡った。摩文仁の丘には都道府県ごとの慰霊塔が建てられている。埼玉の塔に献花して手を合わせた。隣接する平和祈念公園には沖縄戦の戦没者氏名の刻まれた石碑があり、そこに錦三さんの名を確認した。僕の祖父の兄にあたる。ここに眠ってはいないが、しかしここではよく眠れそうだ。赤蜻蛉が海風を受けて空中に静止していた。羽音すら聴こえない。

夜行記

西八王子、喜屋武岬

 三千二十七キロを走った四十八日間の旅行から戻ると、部屋には七月のカレンダーが掛かっていた。近所の柿農園は綺麗さっぱり消えて見通しがいい。ほどなく六階建てのマンションが建つ。街の変化の速さはシムシティに近いものがある。以下、書きそびれた事を幾つか。

 沖縄本島では本土から移住した人々数名と会った。埼玉から旅行に来てそのまま住み着いた二十五歳、脱サラして宿を開いた神奈川出身三十八歳など。積極的に定住を試みている場合もあれば、亜熱帯の気怠さと貧乏で動けないという場合もあった。或いはまた島に生まれて島から一度も出たことのない四十代の料理人もいた。彼らについての考察は省略。

 長崎県大村市のTさんには松川事件の話を聴いた。被告人支援の為に東京から歩いて仙台高裁の無罪判決に立ち会った事、それが原点だと話していた。自分にそういうものがあるかどうかは判らない。一度関ったら逃げられないと考えるのは卑怯に違いないのだが、個人の活動でなく、何らかの集団に関ることには抵抗感があることを否めない。けれど諫早湾とは一生涯、付合うことになるとは思う。遠くからではあっても眺め続けていたい。

 鹿児島から那覇行きの船では韓国人留学生や無職中年男性と隣合せの席になり、オリオンビールと発泡酒の宴会になった。沖縄上陸後の三日間はライトバンの屋根に自転車を載せて三人で旅行していた。彼らとはいつか再会できればと思う。

 The Milepost 2005 を買った。

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