丘陵の北20100502

日曜日、仕事のはずが、急に休みになり、蒲団でぼんやりしているうち昼を過ぎて、それでもまだ眠たく、近所を散歩して目を覚ますつもりで外に出たけれど、あまりにも心地よい陽気で、足が止まらなくなり、狭山丘陵までサイクリングしていた。「比良の丘」に登り、カラスの鳴き声を聴きながら、再び眠くなり、丘を下りて、家に帰る。






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無題20100506

とあるブログの過去記事を読み返していて、いまは大勢の人に読まれているブログだけれど、六年くらい前、たぶん、数名にしか読まれていなかっただろう頃の日記が、とても素晴らしいと思ったのだ。六年前といえば俺は十九歳のガキだから、当時、そのブログを見つけていたとしても、面白くねーなーとブラウザを閉じていたに違いないのだけれど、そのとき書かれていた記事がいまも残っているから、今こうして読めたのであって、ブログの記録性というか、難しいことはよくわからないけれども、消さずに残しておくことは必要なんだなーと思うた。それに、何年の何月何日、自分が何をしていたか、自分の書いた記事を頼りにして思い出せるもんね。そのような経緯があり、日記はついったーでなく、ここに書くけれども、仕事に追われていた黄金週間が明けて、休みのとれた今日、遠出はせずに図書館行ったりしていた。借りてきた本はすべて写真関係。
- 多木浩二『肖像写真』
- 港千尋『明日、広場で』
- 植田正治『小さい伝記』
- 土門拳『腕白小僧がいた』
- 石川直樹『POLE TO POLE』
- オリヴィエ・フェルミ『凍れる河』
- 石黒敬章『幕末・明治のおもしろ写真』
- クレマン・シェルー『アンリ・カルティエ=ブレッソン』
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丘陵の南20100517


2010.4.26 小網代 – ルートラボ LatLongLab
東武東上線、湘南新宿ライン、京浜急行を乗り継いで、三崎口駅へ着いたときには正午をまわっていた。


京急久里浜線の線路はここで途切れているけれど、本来は油壺を通って三崎の市街地まで伸ばす計画があった。三崎口までを暫定的に開通させたのが1975年のことで、それから延伸の目途が立たず2005年に事業廃止、計画は再検討となっている。
いつか再び延伸が決まったときには、三浦半島の過疎化がさらに進んでいて、国道を走るのは老人の運転するトラクターと軽トラだけになる。京急線では一日に一便だけの汽車が、キャベツと三浦ダイコンを満載した貨車を牽いて、横浜を目指してゴトゴトと走っていくのだが、時々、横須賀の山中で急勾配のために立往生してしまい、なかなか辿り着けない。俺が生きているうちに、そんな未来が訪れることを望む。


国道を外れ、小網代の森へと降りていった。水道施設のあたりで道が判らなくなり、市の職員らしき人に尋ねる。途中に泥濘んだ場所があるけど靴は大丈夫ですか、お気を付けて、いってらっしゃいと送り出された。
小網代については「源流域から海までが手付かずに残された関東地方で唯一の場所」と言われるが、よく探してみれば南房総などにありそうだと考えてもいる。ただ、東京や横浜からそう遠くないところに、これだけの森が残されているのは確かに凄いなと思った。正確に言えば「手付かず」というのは誤りで、谷戸田として利用されていた場所があるし(いまは耕作放棄地)、他の里山と同様、人が立ち入って手入れはしていた。


日の当たらない鬱蒼とした森を抜け、明るい谷戸に降りていく。周りをそう高くない山々に囲まれた、日の当たる静かな谷戸が好きで、こんな場所を自分は好んで歩くようになって数年になる。ちなみにウィキペディアでは2007年に「谷」から分割、独立した記事として「谷戸」が作られた。呼び方としてはヤトのほかに、ヤチ、ヤツ、カイトなどがあり、三浦市の海外町(カイトチョウ)はDPZでもネタにされていた(東京から片道1000円の海外旅行)。




真面目に歩けば大した距離ではないけれど、写真を撮りながら、二時間半をかけて森を歩き、唐突に海へ出た。小網代湾の入口にはリゾートマンション「シーボニア」があって、景観によくない気がしないでもない。自分が思い描く三浦半島の未来では、ここに老人ばかりが賃料を払わず自由に暮らしていて、キャベツとダイコンを売って生計を立てている、という設定にしたい。
湾のいちばん奥まった場所には、淀んだ水たまりのような入江と、そこへ流れこむ川、陸と海の境目がよくわからない湿地帯がある。少しだけ踏み入ってみたけれど、背の高い草が生い茂って足元が見えないうえに、壊れたテレビなどが捨てられていて異様な雰囲気があり、怖いので引き返してきた。



森のなかで俺を追い越していった老人たちと犬に再会し、犬に飛びつかれて服が泥だらけになる。お婆さんに謝られて、飴をもらった。遠い未来にいつか自分が老人になったときには、同じように森を歩いてきて、海辺でカメラを持った青年に会い、飴をあげたりしている。多分。



去年の今頃、三浦半島へ来たのは、忌野清志郎が亡くなった日だった。RCサクセション「山のふもとで犬と暮らしている」という曲を思い出して、俺は老人になったらこのあたりに古い一軒家を買い、キャベツとダイコンを育てたり、本を読んだりしながら、犬と暮らしているだろうなと思った。
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