海から

20100105-01
 埼玉県志木市から東へ向かった、年末年始の四日間の記録。
20100105-02
 日没とともに自転車で走り始めた。荒川を渡り、江戸川を越えて、千葉県に入ったのは午後八時を回っていた。小料理屋に入ってラーメン半チャン定食を頼み、日本レコード大賞を見ながら、茶碗に盛られたチャーハンを食った。旨い。
20100105-03
 手賀沼公園に泊まった。眠れない夜が明けると、人々と鳥と猫に、テントを囲まれていた。
20100105-04
20100105-05
20100105-06
20100105-07
20100105-08
20100105-09
20100105-10
 利根川の堤防に上がり、河口を目指して走った。このあたりは縄文時代の海面上昇期に古鬼怒湾と呼ばれる海の底だった為、平坦な地面が広がっている。現在も、海から74kmの地点では、河床の高さは海水面よりも低い。増水した川の堤防がいったん切れてしまえば、水は一帯を被いつくして滞留するだろう。利根川の両岸には幾つもの「水神社」を見たけれど関連はよく知らない。この日は、遮るもののない平野を渡ってきた強風と、青空から一転して急に降りだした冷たい雨に悩まされた。
20100105-11
 川のある風景は、けっして優しくはないのに、いつも川に惹かれるのは、何故か。
20100105-12
 大晦日には人の気配がない寂しい神社に、多分、明日は人が溢れる。多分。
20100105-13
 河口には二つの町がある。左岸には波崎、右岸には銚子。ほんとうは波崎の海岸でひっそりと新年を迎えるつもりだったのだが、キャンプ場は鎖されていて、あまりに寂しすぎるから銚子へ向かった。犬吠埼には人が溢れかえっていた。
20100105-14
20100105-15
 年越しの五分前に目を覚ました。ラジオで「ゆく年くる年」を聴きながらテントの外へ出た。カウントダウンしている若者たちを見た。豚汁や蕎麦を売る人々を撮った。月がひどく綺麗だった。こんなときにどんな顔したらいいのか判らないので、とりあえずへらへら笑っておいた。
20100105-16
 海岸には人が溢れかえっていたが、毛布を着ているのは二人だけだった。
20100105-17
 かりふらわあ号。
20100105-18
 ただの日の出じゃねえか。
20100105-19
20100105-20
20100105-21
20100105-22
20100105-23
 カメラ小僧じゃなくて何というのか。
20100105-24
20100105-25
20100105-26
20100105-27
20100105-28
 ようやくダンボーが目を覚ました。
20100105-29
 隣りにテント張っていた人。自転車はシクロクロス。
20100105-30
 絵を描きながら占いもする人。俺は今年の秋には彼女ができるらしい。期待していいのか。
20100105-31
 一面のキャベツ畑。一つくらい盗んでいくのが礼儀ではないかと誤った思考をした。
20100105-32
 あれは風力発電というものだ、ダンボー。
20100105-33
 九十九里浜と名付けたやつは大袈裟だと思っていたが、刑部岬からの眺望に圧倒された。延々と60kmほど砂浜が続いている。このあたりも海面上昇期には「玉の浦」と呼ばれる海だった。海から陸へ、陸から海へと何度も行き来をしている。
20100105-34
 平野と台地の境にある段差は、波が打ち寄せていた、かつての海食崖。
20100105-35
 下総台地の東端が屏風ヶ浦であり、屏風ヶ浦の南端である刑部岬が、今回の折り返し地点となる。岬の駐車場には、折りたたんだ毛布を枕にして横たわる老齢の男性と、取り囲んで介抱する家族とがいた。駆けつけた救急車に乗せられて男性は去っていき、ふたたび岬は静かになったが、不穏な空気は残っていた。猫や犬だけが陽気に走りまわっている。
20100105-36
 岬から九十九里浜へと駆けおりて波打際に向かった。段ボールで作られているダンボーは、油断すると強風に吹き飛ばされそうになる。塩まじりの砂が強風にのって舞い上がり、俺とカメラに当たった。名残惜しいが浜辺を離れなければカメラが壊れる。
20100105-37
20100105-38
 七十代と思われる老夫婦が手をつないで浜辺を歩いていた。いまは正月で、元日なのだと思い出した。俺も暖かい場所へ行ったほうがよいと、日帰り入浴の温泉へ向かった。入り口近くの電柱には乗用車が突っ込み、ボンネットがVの字にひしゃげ、現場検証が行われていた。年末年始には祝い事も多いけれど事故も多いのだと思い出した。元日の夜、誰もいない道の駅にテントを張り、サッポロ一番の味噌ラーメンを作って食べた。ラジオからは桂吉弥の落語「ちりとてちん」が流れていた。口を開けて笑うと、日焼けした唇が痛んだ。こんな夜はもう何もせずに眠ったほうがよい。
20100105-39
 翌日、早起きをして、やはり誰もいない自販機コーナーで熱いコーヒーを飲んだ。山のように積まれた観光パンフレットに交じって、野鳥の会のフリーペーパーがあり、そこには藤原新也が寄稿していた。写真集『花音女』のモデルとなった女性と数年ぶりに再会した話だった。「現代のような情報化社会においては幾つもの錯綜した時間の流れがあり、一つの時間の流れだけに寄り添って普通に年を重ねることが難しい、だが彼女はとてもよい年の重ね方をしているように見えた」と、だいたいこのような意味のことが書かれていた。野鳥の会にはまったく興味がないが、この文章は良かった。

木に年輪があるように人にも年輪がある。人の年輪は自らが刻むもの。人に会うて、その年輪の美しさを見る。
Toriino 第13号

20100105-40
 三里塚からは離着陸する飛行機を撮り、成田山新勝寺では土産を買い、利根川を遡って走り、再び手賀沼へ向かった。
20100105-41
20100105-42
 手賀沼から利根川へ繋がる水路と、その周辺の土地がかつては海だったが、水が退いて土地になり、刻まれた地形が残り、それらが年輪のようなものだと思った。その海と陸を行き来している俺の年輪は、何だろうか。
20100105-43
 今年もよろしく。
20100105-44

この記事へのコメント、トラックバック



一つ新しい記事 ← → 一つ古い記事