東北旅行記 220090811

サービスエリアの芝生に張ったテントから這い出すと、雨はすでに上がり、朝日が差していた。台風の進路を確かめるため休憩所のテレビを見に行く。台風と合わせて強い地震にも見舞われた静岡が映されている。
遅れて起きてきた二人とコーヒーを飲みながら旅程について話した。彼らはともに青函フェリーで北海道へ渡り、会社員のTさんは飛行機で帰路に着く。大学生のK君は出会った人々に千羽鶴を折ってもらい、ひめゆりの塔に届けるまで旅行を続けるという。頼まれたので俺も一羽の鶴を折った。テントの前で記念写真を撮り、車に向かって手を振る二人を撮らせてもらい、住所交換をして別れた。
従業員用出入口の場所を人に教えてもらい、高速道路の外へ出る。一般道までは結構な距離を歩くから頑張ってと励まされた。今回は軽登山靴を履いているから何キロでも難なく歩いていける。雨上がりの道に落ちている栗、浄水場の遺構、咲いている黄色い花、飼料の積まれた養豚場、蜘蛛の巣に捕らえられたトンボ、などを観察しながら市街地へ下りていく。
眼鏡の訪問販売車に乗せてもらい花巻へ向かう。スピードメーターが狂っているらしく、時速四十キロ程度でも百八十キロまで振り切れる。荷台には視力測定の器械が載っていた。お年寄りの多い地区を訪れて眼を検査し、持ち帰ったデータを元に作った眼鏡を、翌日には自宅まで届けている。運転する初老の男性はかつて世界中を旅行していたといい、旅はあちこち行かないで一ヶ所に長く滞在すべきだ、ロンドンには二ヶ月もいた、などの話を聞いた。
花巻空港近くの空地に車を停め、ここでカラスにエサをやるといった。菓子パンをちぎって宙に放ると、数十メートル離れたところにいたカラスが舞い上がり、落ちたパンをついばみ、また飛び上がって離れる。眼鏡屋の彼が指差した、ある一羽の雄のカラスは以前ケガをしていたが、手当てにより快復したという。連れて帰ろうかとも思ったがやめた、今では嫁さんをもらって元気になっていると彼は言うのだが、俺には個体どころか雌雄の見分けさえつかない。どれも色は真っ黒だし大きさは同じだ。
宮沢賢治記念館に行き、二時間ほどかけて館内を回った。賢治の遺品のほとんどは花巻空襲によって焼かれてしまい、残ったものだけが展示されている。記念館の外には賢治の設計図を元にして再現された日時計花壇・南斜花壇がある。
花巻から遠野までヒッチハイク。賢治の童話から遠野物語へ。
遠野昔話村に行き、語り部の菊池玉さんから「オシラサマ」を聴いた。――馬と夫婦になった娘をみて父親が怒り、娘が留守のあいだに馬を絞殺して皮を剥いでしまう。娘が泣きながら皮に手をかけたとたん強い風が吹き、そのまま娘は空高く舞い上がって天に昇る。嘆き悲しむ両親のもとへ娘が夢枕に立ち、臼のなかの虫に桑の葉を与えろといい、養蚕の方法を授けた。「お知らせ様」が転じてオシラサマとなり、馬と娘のすがたを木に彫って、布を被せたものを祀るようになった。
布に包まれて天まで舞い上がるといえば天女の羽衣のようだし、人と動物の夫婦といえば世界中に類型が見られる(異類婚姻譚)。特に似通っている説話については単一の起源が存在するという説があり、一方、各地で発生したものが偶然似たにすぎないという説もある。但し、守り神として信仰されてきたオシラサマについて、考えをめぐらせるのは、帰宅した今だから出来る。実際に目の前に展示されていたオシラサマには、何も言葉が浮かんではこなかった。
釜石線の汽車に乗って東和町へ向かった。道路地図を見て選んだ土沢駅に降りると、偶然にもそこは宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の始発駅、銀河ステーションのモデルとされる場所だった。そこから道の駅まで歩いていき、テントを張り、温泉に浸かった。ビールを飲みながら暗闇で考えごとをしていると、碌なことにはならない。賢治が苦しんでいた頃から何も変わってはいないし、これからも何も判らない、とりあえず翌日が晴れればいいと思い、酔ったままで寝袋に入る。
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いいですね。去年は恐山大祭行きましたけど今年は夏休みとれそうになくて…。いいなぁ。いいなぁ。
2009/08/22 23時43分 匿名五日間の旅行のなかで、恐山が一番の思い出になりました。こんどは大祭のときに行きたいです。
2009/08/23 0時19分 川野 URL