後ろ姿20090808
七羽の雛を引き連れたカルガモに出会い、八羽目となって親鳥のあとを追いかけた。水場と呼べそうなものが一切見当たらない住宅街のどこに隠れていたのか判らないけれど彼らはたしかに道路を闊歩していて、しかし彼らは魚類ではない鳥類なのだから、水場がなくとも生きていくことに一応は支障がないのだと思い至った。
空を飛べない雛の時期、空を飛べる青年期、空を飛べない親鳥の時期、再び空を飛べる雛の巣立ち後といった経過をたどるカルガモの一生は、何かに似ているようだと考えた。当たり前のことをいえば人には同じような時期があり、子にかかりっきりで行動が制約される親を、空を飛べないと例えることは容易いけれど、それでは少しの面白味もない。実際のところは初めから制約なんてものはなく、親鳥は飛ばないことを自ら選択しているだけであって、八羽目の異質な存在に気付いていながら足を速めることはせず、飛び立つこともない。
何らかの原因により子と親が離れることについては、あとで考えることにして、今は写真に見入っていたい。
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東北旅行記 120090810
旅行中に部屋から何かを盗まれるより、部屋の鍵を落とすことのほうが怖いから、鍵をかけずに出発した。朝早くに出ようと思っていたのに豪雨と雷と眠気に阻まれ、昼過ぎにようやくアパートを出る。電車とバスを乗りついで東北自動車道の蓮田SAに着いたのは午後三時半だった。従業員用の出入口を通って一般道から高速道路に入ることは容易いし、べつに違法でもないけれど、不思議だなあと思う。七十リットルの大きなバックパックを背負っている旅行者など、普通は高速道路上で見かけることはない。俺はどこから来たんだろうか。
数日前に髪は短く切り揃えていたし、前日にユニクロで買ったばかりの真新しい安物のシャツも着ている。天気はいつ崩れてもおかしくないが当分は大丈夫そうだ。サービスエリアの出口に近い、休憩所から見えやすい場所に立つと、思いきって左手を挙げた。付近で休んでいた人々の視線を一気に集める。誇らしいような照れくさいような感覚が懐かしい。手を挙げているだけの俺が恥ずかしいのだから、俺に声をかけようという人はどれだけの勇気が要るだろう。こちらを見て微笑んだり、見て見ぬふりの人々が通り過ぎていくなか、背後から声をかけられる。宇都宮まででよければ乗っていきなよ。
東京でのゴルフが雨で中止となり宇都宮の自宅へ帰る人、東京に暮らしているが郡山の実家へ帰る人、東京に帰省していたが盛岡の自宅へ帰る人、誰もがどこかへ帰ろうとしているのに、行先も決めていない俺はどこへ向かってんだろうねと考えていた。周囲の人間には下北半島とだけ伝えてきたけれど、本当はそれすら曖昧だった。これまでにないテンションの低さで始めたはいいが、五泊六日の旅行、無事に終われるだろうか。
福島県の安積PAに着いたころには薄暗くなっていて、次の車で最後になるか、切りあげて野宿しようかと迷いながら手を挙げる。休憩所のほうからスケッチブックを抱えた男どもが飛び跳ねながら走ってきて、ああ、君たちもか、暇だねえと思う。日本一周している大学生二十歳、大阪から北海道に向かう会社員三十九歳、彼らと合流して三人で手を挙げる。大きなワンボックス車に乗り込み、暗闇のなかを北へ向かう。
彼らは今回が初めてのヒッチハイクだといった。長いときは七時間も待ったというのだけど、それは場所がよくないからだ。運転手の視点からヒッチハイカーを見つけやすく、なおかつ車を停めやすい場所に立てば、平均して十五分くらいで俺は乗せてもらえる。勿論、初心者のときは全く駄目だったから、彼らもそのうち自分で考えるだろう。だから上手い方法などは教えない。
山間部のサービスエリアで降りたのは午後十時を過ぎていた。関西に甚大な被害をもたらした台風が北上しているといい、面白いから野宿しようぜということになった。俺が担いできたテントは三人用と書かれているが、実際に三人で使うとなれば狭苦しい。でも、大の男が三人も入っていれば、台風に飛ばされることはないだろう。出発前に、雇用保険の手続きがあって職安へ行ったのだが、そこで流れていたオルゴールは、上々颱風『愛よりも青い海』だった。台風が過ぎ去ったら海へ行きたいと思った。
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東北旅行記 220090811
サービスエリアの芝生に張ったテントから這い出すと、雨はすでに上がり、朝日が差していた。台風の進路を確かめるため休憩所のテレビを見に行く。台風と合わせて強い地震にも見舞われた静岡が映されている。
遅れて起きてきた二人とコーヒーを飲みながら旅程について話した。彼らはともに青函フェリーで北海道へ渡り、会社員のTさんは飛行機で帰路に着く。大学生のK君は出会った人々に千羽鶴を折ってもらい、ひめゆりの塔に届けるまで旅行を続けるという。頼まれたので俺も一羽の鶴を折った。テントの前で記念写真を撮り、車に向かって手を振る二人を撮らせてもらい、住所交換をして別れた。
従業員用出入口の場所を人に教えてもらい、高速道路の外へ出る。一般道までは結構な距離を歩くから頑張ってと励まされた。今回は軽登山靴を履いているから何キロでも難なく歩いていける。雨上がりの道に落ちている栗、浄水場の遺構、咲いている黄色い花、飼料の積まれた養豚場、蜘蛛の巣に捕らえられたトンボ、などを観察しながら市街地へ下りていく。
眼鏡の訪問販売車に乗せてもらい花巻へ向かう。スピードメーターが狂っているらしく、時速四十キロ程度でも百八十キロまで振り切れる。荷台には視力測定の器械が載っていた。お年寄りの多い地区を訪れて眼を検査し、持ち帰ったデータを元に作った眼鏡を、翌日には自宅まで届けている。運転する初老の男性はかつて世界中を旅行していたといい、旅はあちこち行かないで一ヶ所に長く滞在すべきだ、ロンドンには二ヶ月もいた、などの話を聞いた。
花巻空港近くの空地に車を停め、ここでカラスにエサをやるといった。菓子パンをちぎって宙に放ると、数十メートル離れたところにいたカラスが舞い上がり、落ちたパンをついばみ、また飛び上がって離れる。眼鏡屋の彼が指差した、ある一羽の雄のカラスは以前ケガをしていたが、手当てにより快復したという。連れて帰ろうかとも思ったがやめた、今では嫁さんをもらって元気になっていると彼は言うのだが、俺には個体どころか雌雄の見分けさえつかない。どれも色は真っ黒だし大きさは同じだ。
宮沢賢治記念館に行き、二時間ほどかけて館内を回った。賢治の遺品のほとんどは花巻空襲によって焼かれてしまい、残ったものだけが展示されている。記念館の外には賢治の設計図を元にして再現された日時計花壇・南斜花壇がある。
花巻から遠野までヒッチハイク。賢治の童話から遠野物語へ。
遠野昔話村に行き、語り部の菊池玉さんから「オシラサマ」を聴いた。――馬と夫婦になった娘をみて父親が怒り、娘が留守のあいだに馬を絞殺して皮を剥いでしまう。娘が泣きながら皮に手をかけたとたん強い風が吹き、そのまま娘は空高く舞い上がって天に昇る。嘆き悲しむ両親のもとへ娘が夢枕に立ち、臼のなかの虫に桑の葉を与えろといい、養蚕の方法を授けた。「お知らせ様」が転じてオシラサマとなり、馬と娘のすがたを木に彫って、布を被せたものを祀るようになった。
布に包まれて天まで舞い上がるといえば天女の羽衣のようだし、人と動物の夫婦といえば世界中に類型が見られる(異類婚姻譚)。特に似通っている説話については単一の起源が存在するという説があり、一方、各地で発生したものが偶然似たにすぎないという説もある。但し、守り神として信仰されてきたオシラサマについて、考えをめぐらせるのは、帰宅した今だから出来る。実際に目の前に展示されていたオシラサマには、何も言葉が浮かんではこなかった。
釜石線の汽車に乗って東和町へ向かった。道路地図を見て選んだ土沢駅に降りると、偶然にもそこは宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の始発駅、銀河ステーションのモデルとされる場所だった。そこから道の駅まで歩いていき、テントを張り、温泉に浸かった。ビールを飲みながら暗闇で考えごとをしていると、碌なことにはならない。賢治が苦しんでいた頃から何も変わってはいないし、これからも何も判らない、とりあえず翌日が晴れればいいと思い、酔ったままで寝袋に入る。
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