架橋この記事を はてなブックマーク に追加この記事を はてなブックマーク に追加

 昼、荒川に架かる橋を渡った。生まれてから今に至るまで、この川を何回渡ったかなど覚えていないけれども、車、電車、原付、自転車と合わせれば優に千回は超えるはずだ。川上から順に、治水橋、羽根倉橋、秋ヶ瀬橋、幸魂大橋、笹目橋、戸田橋などを数えきれないほど渡っていて、それは俺だけに限ったことでなく無数の人々が橋を行き来している。本来ならば渡し賃を払って小舟を出してもらっていたのが、いつのまにか容易に川面を飛び越えていけるようになり、良いのだろうかと思いながらペダルを漕いでいる。

 川を渡るという行為によって県境を越えているときがある。もしくは隣県でなく隣国、または大袈裟なことをいえば別世界へ入っていくように思われるときがある。自分が考えた比喩という訳ではなく、昔から、渡河というのは、そのような特別な意味合いを持っていた。かつての渡船場が一部では関所の役割を兼ねていたように、川は行く手を阻むものとしてあった。雨が降り続けば此岸と彼岸とが分断されるように、川は土地を切り離すものとしてあった。現在のように通勤や通学などで日常的に川を渡るということは、少なくとも荒川のような大きな川では明治の頃まで有りえなかった。単に架橋技術が未発達だったせいもあるのだが。川を渡る特別なとき、といえば、三途の川だろうか。

一説には、俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。しかしながら、平安時代の末期に、「橋を渡る(場合がある)」という考え方が消え、その後は全員が渡舟によって渡河するという考え方にシフトする。

三途川 – Wikipedia

 分断するものとしての川の存在が、三途川の想像へと繋がっていったのは自然なことかもしれない。容易には渡ることができない、渡ったなら戻ることのできない川には橋を架けられない。ここから言えるのは、実在する川に架けられている橋というやつは、いつでも行き来できるということだ。好きなときに何度でも渡ればいいし渡らなくてもいい。写真は羽根倉橋から南を撮ったもの、あとは道端の花など適当に。

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