ねむり20090405
店の改装が終わってからも忙しく、自宅には午前一時に着くような日々が続いていた。真夜中の終列車が、釣り革に掴まって目を瞑る人々で満たされていることを知った。彼らと自分の穏やかな辛さがいつまで続くだろうと考える。大した望みではないんだけどな。椅子、蒲団、どこでもいいから心ゆくまで眠りたい。
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むいみ20090406
日記のタイトルに訳もなく二文字の熟語を使い続けていたけれど一向に行き詰まる気配がないので諦めた。JIS第二水準の漢字に限ったとしても四千万通りくらい考えられる。今日からは三文字の平仮名を組み合わせてみよう、「あ」から「ん」までは四十八文字だから 48^3 = 110,592 通りか、と職場に向かいながら暗算していたくらいには計算が得意で、けれども濁音と半濁音と拗音と促音まで含めたときに 77^3 = ??? と混乱するくらいには計算が苦手だ。
漢字、数字、名前、あらゆることに意味がないと思った。意味のないことに意味がある、と思うことで少しは気が楽になるかといえばまあ少しも楽にはならないのだけど、たとえば十一万通りの題名を考えたとして、その大半は意味を成さない、まったくの出鱈目になるはずで、ことり、りくつ、つみき、きかい、いろは、はまち、ちかん、などのような意味のある言葉が生まれることは奇跡に近い。偶然に得られる、そういったものを、追いかけていればいいんだろうね。
くらい、よみち、あかり、てらす、はっぱ、を、とる。
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かくさ20090410
気温の日較差が、一年のうちで最も大きい季節に差し掛かっている。早朝は暖房が欲しいけど昼間は冷房が欲しい。較差の読みは「かくさ」と「こうさ」、どちらが正しいんだろう。気象庁の過去の気象データ検索を使うと、今の時期に各地で観測された、異常な気温推移がいろいろ見られて面白い。極端な例を挙げようとしたら、すべて道東になった。すごいな北海道。
- 川湯 1985年5月24日 (日較差が三十度)
- 網走 1998年4月21日 (一時間で二十度の低下)
- 標津 2008年5月2日 (一時間で十六度の上昇、一時間で十三度の低下)
今日は六年前に亡くなった伯父の命日。昭和十年の生まれだから、生きていれば七十四歳になっていた。僕の親父とは本当に親子ほども年が離れていたのだ。伯父の人生については、大連で過ごした少年期から、十代、二十代、四十代、六十代へ至るまでと、彼がいなくなったあとに幾つかの出来事があって、考えを巡らせるのが少し苦しい。そのうち書くさ、とは言えない。次の休みには墓参りに行く。
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ありか20090411
桜の木の幹を登っているアリの行列を追いかけた。思いのほか動きが速く、百枚あまり撮って、静止していたのが数枚。そして撮り終えてから気付いたのだけど、外国人観光客が大勢訪れる神社の境内で、僕は長いこと幹にへばりついていたらしく、不思議そうな目で見られていた。
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おかね20090415
写真は、新宿某所の、呑み屋さんにて。これを書いた人におかねを差し上げたいので、こんど行ってみよう。で、まあ、おかねといえば、唐突に切ない話になるんだけど、会社が残業代を払ってくれない。これはまずいよなあと思いつつ三ヶ月が過ぎて、他のバイトの人たちも同様に考えていると知ったので、そろそろ労基署へ相談に行こうかと思う。自転車屋の仕事は楽しいから続けたい。ようやくバーテープが綺麗に巻けるようになってきた。
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晴れ間20090416
低く重苦しい雲が広がっているところに、細長い青空の覗くようなことが、年に何度か見られて、ああ、良かったなと思う。何が良いのか判らないけれど。こんなのが見たかったのかと気付く。
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長い散歩20090417
仕事を終えてから、最寄りの地下鉄駅へ向かわずに、隣りの駅まで歩いてみようと思った。歩いているうちに止まらなくなり、楽しくなって、駆け出したくなるのを抑えながら、腕を大きく振りまわして歩き続けた。新宿から東武練馬まで十一駅、二時間半。春だから浮かれていたのかな。逆さになっている本屋の看板さえも春のせいかと思える。
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わかば20090418
新宿御苑に入ってみたいけれど、昼休みの一時間を過ごすために入場料二百円を払うのはどうなんだ、なんて、つまらないことを考えながら御苑の周りの遊歩道を歩いた。樹皮の肥厚した老木であっても、いまの時期には明るい色の若葉が萌え出ているのが、おかしいような悲しいような、不思議な感覚におちいる。木は若くないのに、若葉。
わかば、といえば、そんな名前のタバコがあったなと思い出す。新宿区内では路上喫煙禁止という、つまらない条例があって、無論、遊歩道のベンチに腰掛けて吸うこともできない。取り締まりのための係員が至るところに立っていて、雇用創出には役立っていたのかと気付いた。僕自身には喫煙の習慣はないが、タバコというのは個人の嗜好という言葉では片付けられない存在で、必要なものだと思っている。喫煙すること自体が罪悪だと決めつけるような風潮はいやだ。多分、大多数の人々には伝わらない理屈だろうなー、と思うけれど。
あと、話は飛躍するのだけど、お餅でしょうかの記事を読んで、コーヒー噴いた。
日刊スレッドガイド : 当店のポイントカードはお餅でしょうか?のガイドライン
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越生20090419
久々の日帰りサイクリング。志木から越生までの往復九十八キロ。沈下橋は四万十川だけじゃなくて埼玉にもある。川をのぞきこんでいて危うく落ちそうになった。泳ぐにはまだ早い。
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新宿からどこかへ20090420
社員希望アルバイト、というかたちで働いていた会社を退職しました。えーと、深夜まで続くサービス残業のせいで最低賃金を下回っていて、そろそろ身がもたないなと思っていたのですが、ついに一昨日、出勤するつもりで家を出て、なぜか越生に向かってしまい、堤防の芝生に寝転がって空を見上げ、携帯電話で店長と話したのでした。悪いのは会社だから店長と同僚には申し訳ない。
一週間くらい休んでから次の仕事を探します。悲しいような、ちょっとは楽しいような、よくわからねえ感情だ。俺はどこへ向かってんだろうな?
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雨20090422
雨が降ると思い出すのは、那覇の安宿に引き籠もっていたときのこと。
二段ベッドの上段を一泊千円で借りてカーテンを閉め切り、サーターアンダギーなどを頬張りながら寝転がっていた。隣室には四十代と思われるおっさんが個室に長期滞在、というより住み着いていて、この人もまたテレビを見たり部屋に引き籠もったり、時々は共用の台所に立って料理など作ったりしながら、ほとんど宿のなかで過ごしていた。何をして生計を立てているのか判らない。なぜここに暮らしているのかを訊ねたいと思ったが、話しかけることさえできずに、目が合えば会釈する程度だった。
その宿に着くまではテント暮らしを長く続けていた僕は、台風が過ぎ去っても尚、宿を離れることができずに、一日中ベッドで眠り続けていた。近所のスーパーで大きなキャベツを買い、大雑把に刻んで炒め、ラーメンにのせて食らうような適当な食生活だった。面倒なときは食事さえ作らずに眠って遣り過ごしていた。そんな様子を見かねたのか、何らかの親近感によるのか、おっさんが、これ食べていいよ、と何かを差し出したのだった。
トウガン(冬瓜)と島豆腐を一緒に煮込んだ料理。体にいいから食え、鍋に入ってるの全部やるから、といって笑顔になる。おっさんが笑うところを初めて見たと思った。浅黒い肌に、少々落ち窪んだ目、そんな彼の風貌に対して、正直なところ畏怖を感じていた。人を見た目で判断してはいけないと反省し、丼に盛られた料理を受け取る。見たことのない瓶入りの調味料も渡された。島唐辛子を泡盛で一年くらい漬け込んだもので、コーレーグス(高麗辛子)っていうんだ、これも俺が作った、調理師をやってたからねという。堰を切ったように饒舌となり、陽気に話しているおっさんの顔を、見つめた。
コップに注がれた泡盛を呑みながら話を聴いた。この宿には長いこと暮らしてる、時々、そこの港に働きに行くんだ、荷揚げの仕事をやってる、ちょっときついけどね、という。結婚していたけれど別れた、子どもはもう五年生になるのかな、娘でね、かわいいんだ、でも会えなくて、寂しいなあ、どのくらい会ってないのかな。沖縄本島に俺は生まれて、まだ島の外には出たことがない、けど、暖かいところが好きだからね、出たくはないんだ、ここでずっと暮らしていたい、島の食べ物はおいしいからね、何でも。ところで君の名前はなんていうの? ユウキっていうのか。じゃあユウキ、君は……
あとの会話は、僕がひどく酩酊してしまい、記憶に残っていない。無理しなくていいから、もう休めといわれたことは覚えている。結局、宿には一週間ほど滞在してから、おっさんに別れの挨拶をして、僕は旅行を再開させた。
今になって考えるのは、おっさんが、何を思って安宿で暮らしていたのか、または「何のために」ということだ。この人の生涯のなかで、不運とか不幸と呼べそうなものは、おおかた出尽くしていて、あとは何も起こらないだろ、というか起こらないでほしい、けど、逆に、これからどんな良いことがあるのよ、何が変化してくんだ、と思った。
生きていると困難にぶつかる。半分は偶然だ。しかし、その偶然が、げ、それはないでしょっていうくらい悲惨なことがあるのが、人生の不可解の一つだ。ここから得られる一般論は、人生というのは大方運命だな、と。死んだ人は帰らない。失われた愛は戻らない。がっつんと不運に会ったら人生は終わるまでの不良債権処理みたいなもん。で、あと半分だが。
あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記
finalventさんの過去に何があったのかは知らない。一般論としては、不良債権処理つうか、消化試合みたいな人生はあるだろうなと思った。それはもうポジティブとか頑張れとかいっても意味を為さないことで、ただ、生きてさえいれば日々「消化」はされているから、それでいいじゃんか、あとは目指したいものとか、成功とかは割とどうでもいい、と思う。河島英五の「生きてりゃいいさ」とはまた少し違うような。でも、だいたい合ってる。生きてりゃいいよ。
那覇の安宿で、おっさんが、何のために生きているのかといえば、それは良くも悪くも消化試合でしかないと思った。ただ、その日々の繰り返しのなかで何か消化されていく感覚というのが、そう悪いものではないというか、もともと人生なんて大した意味があるものではないから、構わないんじゃないか。年を重ねていって、ああ、遠くまで来たな、という感触を、僕はまだ得ていないから、それまで待ってみたい、などと考えたり。
ユウキは何がしたいの、と、あのとき訊かれたような気はするけれど、それに答えるのは難しいなと思う。そんなん子どものころから繰り返されていた問いで、たとえば職業の話でいうなら気象予報士になりたいとか、新聞記者とか答えていて、そのために勉強したり東京大学へ入る目標を掲げてみたり、あるとき困難にぶつかって、あとはよくわからない方向にということが一応あって、でも、そこから現在に至るまでの脱線が、自分では失敗とは思わない、つうか、失敗かもしれないけど、なりたいものになったり、したいことをする、という実現のかたちが、べつに幸福とか成功ではないなと思う。
したいこと、といえば、そんなこと、おっさんにはあるのか、と訊いてみたいけど訊けるはずもなく、娘さんに再会できればいいなと願うくらいだ。僕がこれから何をしたいのかといえば、多分、こうやって自分以外の他人に出会い続けること、それだけでいいな、あとは特にない。
雨に降りこめられて部屋でぼんやり過ごしている時間が、過去の記憶を引き摺り出してきて、それが雨音に曝されて打ち消されるような感覚を持つ。部屋から出ないことと沖縄本島から出ないことは大して差がない。部屋で眠りこけている、おっさんの過去が雨音に曝され、溶けて流れるような光景を思い浮かべて、自分もまた蒲団に寝転がり、生きることはなんだか自閉的なのか、そうでないのか判らないところがあるな、と考える。他の生き方を選び取ろうとせずに、狭い場所で生きることは、自閉、または自衛のようなものだろうか。
私の不思議な友人たちは,誰もが意図して世界を狭くしようとする。彼らが,ニヒリズムを生きる単純な「終わりの人たち」であるとは思わない。彼らは,もともと在るべくしてそこに在ったのに,シリーズの古本みたいに遠く別れてしまわねばならないという絶望や結ぼれに,抵抗しようとしているだけだ。拡散してこぼれ落ちてしまう希望は,狭められた世界でこそ護られる。彼らは,けして何かを「放棄」した人びとではない。皆,不幸を生きねばならなくなった人たちである。
沖縄本島だけが自分の知っている世界である、おっさんは、本島の外にも世界が広がっていることを知っており、外側の世界から訪れる人々に話しかけていた。島豆腐と島唐辛子だけでは生きていけない。狭められた場所にあって、消化すべき過去にも目を向けつつ、それが味気無いものではなく、新たに手に入る調味料のようなものによって変化は付けられると考えられたなら、まだ終わりは来ない。
雨が降ると無限に書き続けられるような気がしてくるなー。眠いので終わり。明日の朝食用に、飯は炊いてある。それだけでは味気ないから何かを探すとして、部屋の中、冷蔵庫の中に見つからなければ、外へ買いに出るか。何の話だっけ。
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萵苣20090423
大家さんに、サニーレタスをもらった。玄関の前にプランターごと置いてあった。育てろということらしい。どのくらいで収穫できるんだろうなー。楽しみ。日本ではレタスを生食することが多いけれど、俺はウェイパーなどの中華調味料を使って炒めたのが好きです。
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川口20090426
盛夏のような日射しが降り注いでいた今日、初めて、同行者のいない一人きりの墓参りをしてきた。葉に覆いつくされた鋳物工場を背景に立つ墓石へ、汲んできた水を掛け、砂埃や落ち葉などを洗い流し、線香をあげて手を合わせる。故人に対して何かを願うわけでもなく、自身の平穏といったものを祈るわけでもなく、ただ、そうやって時間を過ごしたというだけのことで、何の意味があるのかはよくわからないが、取り残されたような、世間から隔絶されたような時間を、自分は必要としていると思った。川口について何か書きたいけれど、キューポラのある街、という映画のことはよく知らないし、亡くなった祖父が、たしか鋳物工場で働いていたかなと思うが、定かではない。
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