会話20081129
一昨日の昼、父親からの着信に気付き、掛け直すと、例によって救急車で運ばれたという話だった。夜になり、自転車で四十分の距離にある実家へ行き、事情を聞いた。飲んだものはすべて吐いているから、牛乳を大量に飲ませれば大丈夫とのことで、入院はせずに帰宅していた。自室で休んでいる本人と会い、借りていた漫画に何冊かを加えて、渡した。パラパラとページをめくりながら漫画の内容について説明し、僅かに笑顔が見られた。あとで母親から聞いた話によれば、何事もなかったように登校し、異変に気付いた中学校の教諭が、救急に電話を掛けたらしい。
何事もなかったように出勤、と言いたいが、今日は十五分ほど遅刻してバイト先に着いた。誰かのために動くときは迅速だけれど自分のことになると動作が鈍い。年賀状シーズンにもかかわらず来客は少なかった。下を向いて作業に没頭していると、このあいだ一眼レフを売ったおじいさんが、使い方を教えてほしいといって僕のところへ来た。どういうわけか僕はこの人のお気に入りとなったらしく、何かと理由をつけて店にやってくる。一通りカメラの説明をしたあとに雑談をした。先日はあそこへ写真を撮りに行った、今日はどこそこの寺まで自転車で行って特別公開のなんとかを撮る、そんな話を僕は聞きながら、時々、言葉を挟む。
何の錯覚でもなく、僕はこのおじいさんに好かれている。名前をSさんといい、Sさんも僕の名前を覚えている。おそらくは八十近い年齢のはずだけど、自転車で二時間以上かかる場所まで平気で走っていく。正直、あなたは無理したら死ぬと思いますよ、と言いたくなる。だから元気なあいだは写真を撮り続け、どこへでも出掛けてほしい。Sさんが必要とするなら、僕はあらゆる知識を総動員して、言葉を伝えたい。
今の自分が必要としているのは、他人から言葉を「必要とされること」かもしれない。一方では、僕自身も他人の言葉を必要としている。二年前から自傷を繰り返している妹に対して、僕は語り続けているのだが、それは確実に届いていると判っているから、何も心配はしていない。こうしてブログに書いていることが、数名の知人を含む、百名余りの読者に届いているという事実についても、何も疑いは持っていない。
少しだけ弱音というか愚痴を零すとすれば、僕、というか俺は、誰から言葉を受け取ればいいんだろうか、ということで、我儘というよりほかにないんだけど、これだけ大勢に読まれていても何一つ足りた気はしない。昨日から今日にかけてアクセスカウンタは三百くらい回った。それは数字が動いただけで、言葉ではなかった。こうして文章を書くときには偽名を使っておきながら、俺は、本名を呼ばれたいと考え続けていて、いったい、何のこっちゃと思うのですが、必要とする/される人と、ゆっくり話がしたい。
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