旅と自分20081105

日曜日、沢木耕太郎の講演会に行ってきた。講演タイトルは「旅する力」。映画『イントゥ・ザ・ワイルド』と『モーターサイクル・ダイアリーズ』の話から始まって、山口瞳、中田英寿、テレビドラマ化された『深夜特急』に出ていた大沢たかお、キューバで会ったフィデル・カストロなど、沢木さんが旅を通じて出会った人々とのことや、旅の在り方について考えたことを語っていた。講演内容の詳細については他に書いているサイトもあるだろうから省くとして、講演を聴きながら僕が考えていたことについて書きたい。
僕が新宿で『イントゥ・ザ・ワイルド』を観たとき、沢木さんの書いた映画評の切抜きが、劇場の入口に貼られていた。二年間にも及んだクリスの旅の足跡と、彼のなかで移り変わっていった思考とが、視覚化されているという一点において、この映画は高く評価できるというようなことが書かれていた。映画を観終えて赤くなった目を洗面所で冷やしながら、僕も同じことを思った。クリスが「最後で最大の冒険」と称して訪れたアラスカで、ついに辿りつくことのできた思考が、あまりに生々しく伝わりすぎた。
あらゆることが自分を中心に回っていて、物事を解釈するのも自分であり、何かをするのも自分のためで、自分というものが極度に肥大している。僕が旅行に出たときノートに書き綴った文章には、何度か「翻弄されたい」という言葉が登場していた。言い換えれば、自分をバラバラに解体したかったんだと思う。解体されたり、変えられることを恐れてはいたけれど、それでも構わないと思っていた。結果として僕は何度か粉々になり、小さくなって、多少は変わったのかもしれない。僕が北極海沿岸の町で考えたことと、クリスが死の直前に書き残していたことが、見事に一致していた。
旅で得られる感動を人と分かち合うことについて、沢木さんは否定していた(旅に相棒は要らないと言っていた)けれど、それは二十代の旅には戻ることのできない六十代の今だから言えるのではないかと軽い反発を覚えた。あるいは、孤独の意味を知るために一定の期間だけは一人旅をすべきだ、ということなら納得はできる。
見聞きしたものや考えたことを伝える相手がいなければ、僕はもう何も見たいとは思わない。一人旅を続ける必要性は消滅している。同様にクリスは「分かち合うことにしか意味がない」と書き残して、さらに「名前は呼ばれるためにある」と、長く使っていた偽名のアレックスではなく、実名のクリス・マッカンドレスと署名をして息絶えた。
旅の途中に二十四歳で死んだクリス・マッカンドレスではなく、旅と革命は成し遂げたが三十九歳で死んだチェ・ゲバラでもなく、深夜特急の旅を終えてから結婚をして文章も書き続けている六十歳の沢木耕太郎が、目の前の壇上で話していた。旅によって自分が変わることを恐れてはいけない、と何度も繰り返していた。沢木さんが変わり続けているのは、旅の在り方を変容させながら現在まで生き永らえているからだと思った。僕はこれから自分が変わることを恐れてはいないけれど、バラバラになったものを再構築するような激しい変わり方はできない。緩やかに変われればいいと思う。
講演の終わりに沢木さんが、韓国語版の『深夜特急』に寄せたあとがきを引用していた。あとがきを締め括る言葉が「恐れずに、しかし、気をつけて」だったことに少し助けられた気がした。
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『いつかモイカ河の橋の上で』 中野吉宏 著 (第三書館)
副題は「会社を休んで59日間 地球一周」とある。
大学を出てフリーターをしながらお金を貯め小さな会社をつくった30代後半の男。一生懸命働くものの不景気も手伝い気持ちは…
2008/11/30 23時17分 エルミタージュ図書館 URL