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 大家さんから串団子と新米をもらったので記念写真。前にも書いたと思うのですが、僕は土鍋とカセットコンロで飯を炊いておりまして、プロパンガスを契約していないから、大家さんにはとても不思議がられています。いまどき珍しい好青年だと町内でも評判になって、は、いないけれど、毎日のように和菓子とかパンをもらえるから、食費はけっこう助かる。炊きたての飯の撮影を試みたけれどレンズが曇ってしまった。難しいなー。

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旅と自分この記事を はてなブックマーク に追加この記事を はてなブックマーク に追加

 日曜日、沢木耕太郎の講演会に行ってきた。講演タイトルは「旅する力」。映画『イントゥ・ザ・ワイルド』と『モーターサイクル・ダイアリーズ』の話から始まって、山口瞳、中田英寿、テレビドラマ化された『深夜特急』に出ていた大沢たかお、キューバで会ったフィデル・カストロなど、沢木さんが旅を通じて出会った人々とのことや、旅の在り方について考えたことを語っていた。講演内容の詳細については他に書いているサイトもあるだろうから省くとして、講演を聴きながら僕が考えていたことについて書きたい。

 僕が新宿で『イントゥ・ザ・ワイルド』を観たとき、沢木さんの書いた映画評の切抜きが、劇場の入口に貼られていた。二年間にも及んだクリスの旅の足跡と、彼のなかで移り変わっていった思考とが、視覚化されているという一点において、この映画は高く評価できるというようなことが書かれていた。映画を観終えて赤くなった目を洗面所で冷やしながら、僕も同じことを思った。クリスが「最後で最大の冒険」と称して訪れたアラスカで、ついに辿りつくことのできた思考が、あまりに生々しく伝わりすぎた。

 あらゆることが自分を中心に回っていて、物事を解釈するのも自分であり、何かをするのも自分のためで、自分というものが極度に肥大している。僕が旅行に出たときノートに書き綴った文章には、何度か「翻弄されたい」という言葉が登場していた。言い換えれば、自分をバラバラに解体したかったんだと思う。解体されたり、変えられることを恐れてはいたけれど、それでも構わないと思っていた。結果として僕は何度か粉々になり、小さくなって、多少は変わったのかもしれない。僕が北極海沿岸の町で考えたことと、クリスが死の直前に書き残していたことが、見事に一致していた。

 旅で得られる感動を人と分かち合うことについて、沢木さんは否定していた(旅に相棒は要らないと言っていた)けれど、それは二十代の旅には戻ることのできない六十代の今だから言えるのではないかと軽い反発を覚えた。あるいは、孤独の意味を知るために一定の期間だけは一人旅をすべきだ、ということなら納得はできる。

 見聞きしたものや考えたことを伝える相手がいなければ、僕はもう何も見たいとは思わない。一人旅を続ける必要性は消滅している。同様にクリスは「分かち合うことにしか意味がない」と書き残して、さらに「名前は呼ばれるためにある」と、長く使っていた偽名のアレックスではなく、実名のクリス・マッカンドレスと署名をして息絶えた。

 旅の途中に二十四歳で死んだクリス・マッカンドレスではなく、旅と革命は成し遂げたが三十九歳で死んだチェ・ゲバラでもなく、深夜特急の旅を終えてから結婚をして文章も書き続けている六十歳の沢木耕太郎が、目の前の壇上で話していた。旅によって自分が変わることを恐れてはいけない、と何度も繰り返していた。沢木さんが変わり続けているのは、旅の在り方を変容させながら現在まで生き永らえているからだと思った。僕はこれから自分が変わることを恐れてはいないけれど、バラバラになったものを再構築するような激しい変わり方はできない。緩やかに変われればいいと思う。

 講演の終わりに沢木さんが、韓国語版の『深夜特急』に寄せたあとがきを引用していた。あとがきを締め括る言葉が「恐れずに、しかし、気をつけて」だったことに少し助けられた気がした。

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第一波この記事を はてなブックマーク に追加この記事を はてなブックマーク に追加

 二十七個のキウイフルーツを貰い、三つを食べて、残りを写真に収めた。これから数日おきに大量のキウイが襲いかかってくると予想される。まともに向き合っていては舌が痺れてしまうが、完熟しているから放置する訳にもいかない。今のうちにジャムの作り方などを調べて来襲に備える必要がある。水とグラニュー糖があれば、なんとなく作れそうだけどなー。(本文とハチクロは関係ありません)

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 道端に咲いていた、マルバルコウソウ(丸葉縷紅草)。直径は一センチくらい。風が強く吹いていてシャッタースピード稼ぐために絞り開放で撮ったから微妙にピント合ってない。

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屋上緑化この記事を はてなブックマーク に追加この記事を はてなブックマーク に追加

 新河岸川水循環センター(埼玉県和光市新倉)。都市公園を整備するらしいけど予定は未定。下水道施設の上部利用は全国で行われているらしく、芝生を敷きつめたサッカー場として利用できる場所もある。ただ、どんなに緑化を進めたところで、基本的には物哀しいというか、俺はちょっと苦手だ。管理されず好き勝手に伸び散らかった植物が屋上から溢れだすような光景を見てみたい。

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 サトイモの「サト」は「里」のことだから、山野に育つヤマイモではなく、水気の多い低湿地で栽培されるのがサトイモというのは、たとえば武蔵野において野方と里方があるように、考えてみれば自明のことではある。元々は熱帯地方に育つタロイモの近縁だから暖かくて降水量の多い気候が好ましいはずだけど、昨日のような肌寒い天気の日にも萎れることなく立っていた。品種改良を繰り返してコメが寒冷な気候へ適応したのと同様に、サトイモが日本の気候に適応するまでは長い年月を費やしたはずで、けれども、そんな素振りを見せることはなく(植物だから当り前だけどな)、何事もなかったように平然と生えている。本当は何があったのかを、樹木の年輪を調べるように、知ることができれば面白いと思う。サトイモの茎、ズイキを干したやつは煮物にすると旨い。……という日記を書いてから心配になったんだけど、この写真、里芋で合ってますよね?

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逆光この記事を はてなブックマーク に追加この記事を はてなブックマーク に追加

 写真だけなら山ほど撮っているから毎日でも更新できそうな気がしてきた。数を撮れば上手くなるものではないと解ってはいるけど今年に入ってから五千六百枚。多いのか多くないのか、というか、何がしたかったんだろうなー。

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 木立朝鮮朝顔(キダチチョウセンアサガオ)。

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真昼この記事を はてなブックマーク に追加この記事を はてなブックマーク に追加

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名前この記事を はてなブックマーク に追加この記事を はてなブックマーク に追加

 昨日、仕事から帰って、ぼんやりテレビを観ていると、南米のパンタナール湿原が映し出された。雨季には川から溢れた水が湿原全体に薄く広く行きわたり、それは壮観な眺めとなるけれど、今は乾季だから所々に小さな池が残されているだけだ、と現地のガイドが解説している。幅が十数メートルの池に無数のホテイアオイが浮かび、葉と葉のあいだからワニが顔を覗かせ、レポーターの男が大げさに驚いてみせた。この小さな池には百匹を超えるワニが棲んでいるんですよ、凄いですねえ、と嬉しそうに話していたのだけど、僕が考えていたのは全く別のことだった。言葉遊びのような、連想ゲームのような話だけど、ワニに点を付け足せばウニとなる。この小さな池には無数のウニが棲息していると言われれば確かに驚かざるをえないが、ワニが棲んでいることに何ら不思議はない。そしてウニから連想したのは、宮沢賢治と、ドリアン助川だった。

 読者の皆さんは多分嫌いだろうというか興味ないかもしれないですが、僕はドリアン助川が好きだったりします。名前からして明らかに胡散くさいし、何をしている人なのか、何がしたい人なのか解りづらい。一応、叫ぶ詩人の会が解散してからは名前を明川哲也に変えていて、相変わらず小説書いたり音楽やったり、人生相談も受けている。テレビやラジオへの露出は今やほとんど無いものの地道に活動を続けていて、最近では『オバケの英語』という語学の本が売れたりもしていた。

 数年前に『食べる ― 七通の手紙』というエッセイを読んだ。この本の冒頭では、オホーツク海の沿岸を旅する明川哲也が、殻を割って取り出したばかりのウニを頬張りながら、宮沢賢治の詩『春と修羅』を引用している。

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です

 人や銀河や修羅はいいとして、なぜ、ウニを同列に並べたのか、宮沢賢治よ、と明川哲也が語りかけていた。しかしドリアンという果物だってウニみたいに棘だらけじゃないか、という話でもなく、それではどう繋がっていくかについては本を読んでもらったほうがいい。題名に「七通の手紙」とあるとおり、七種類の食べ物によって媒介されながら、七名の人物に宛てて書かれた手紙という形式をとっている。特に強烈な印象を残したのは「塩」を題材としてポル・ポトに宛てた手紙だった。この内容について僕が友人にメールを送ったところ、「吐きそう」と返事が送られてきたことがある。

 最初に書いたウニの話、じゃなかった、ワニの話に戻るけれど、雨季になって川や池から水が溢れたときには、大湿原のどこへでも移動することのできるワニが、乾季には小さな池に閉じ込められている。一方、水が退こうと溢れようと何も変わらないようにみえるウニが、実際には閉塞感をかかえたり、何かを思考することがあるのか、またはどこへでも移動できたりするのか。そんなどうでもいいことを考えているあいだに番組は終わっていて、もう一度、明川哲也について考えを巡らせた。

 彼にとって名前とは殻でしかなく、果物のドリアンから殻を剥がすように名前を改めることはできたが、結局、助川哲也という本名から完全に離れることはなかった。殻を割られたウニが生きてはいられないのと同様に、ドリアンの殻は未だどこかに引っかかっている、と思う。

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熟柿この記事を はてなブックマーク に追加この記事を はてなブックマーク に追加

 今年、アパートの大家から貰ったキウイの合計は六十四個だった。庭に生っている柿がもう充分に熟したらしく、小鳥が枝にとまって啄んでいる。僕もベランダから転げ落ちそうなほどに手を伸ばせば、柿に手が届かなくはないけれど、そう焦らずとも大家がまた厭になるくらい柿を寄越してくれるはずだ。念の為、熟柿は「じゅくし」と読みますよ、と書いておく。

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プリントこの記事を はてなブックマーク に追加この記事を はてなブックマーク に追加

 バイトしている写真屋を、大晦日に退職することが決まった。常連客の人々に会えなくなることと、商品やプリントなどに社割が適用されなくなることが残念。客として店に行けば、同僚には会えるから、寂しくはなかったり。

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