志木

 僕が暮らしている埼玉県志木市という場所の、地名の由来について考えている。もっとも有力なのは、朝鮮半島にあった新羅(しらぎ)からの渡来地名という説だろうか。新羅から渡ってきた人々に大和朝廷の与えた土地が新羅郡と名付けられ、志楽、志楽木などの表記を経て、新座郡(しらぎぐん)の表記になり、漢字の読みに合わせて新座郡(にいくらぐん)と変わった。関連する地名としては新座(にいざ)市、志木(しき)市、和光市白子(しらこ)、和光市新倉(にいくら)が残っており、いずれもかつては新座郡に属していた。

 志木に越してきてから一年以上、この説を鵜呑みにしていたのだが、あることを知って疑念が涌いた。一昨日の読売新聞に載っていたコラムに拠れば、大和国に掛かる「敷島(しきしま)の」という掛詞が、和歌で使われるらしい。日本の別称として秋津州、瑞穂国、豊葦原中国などは知っていたが、敷島もまた日本全体を指す言葉として用いられたという。敷島は磯城島とも表記し、崇神天皇の都、磯城(しき)に由来している。調べてみると、現在も奈良県に磯城郡が残っている。勿論、これだけのことで志木と磯城が通じていると判断した訳ではなかった。

 上に載せた写真は、今年二月に志木市内の神社で行われた、節分の豆まきの様子を写したものだ。この神社の名前を敷島神社という。誰を祀っている神社なのか知らないし、俺は今まで歴史にまったく興味がなかったから、崇神天皇が誰なのか、新羅がいつどこにあったのか、よく知らない。そんないいかげんなことで記事を書けるのは凄いなー、と感嘆している場合ではなくて、もうちょっと勉強しないと。何か解ったら続きを書くつもり。

 事実に基づかない、自分の膨らませた空想でしかないが、たとえば豊葦原のアシという植物には、ヨシとかカヤなどの読みがあって、このカヤもまた朝鮮半島の伽耶につながっていたり、などと考え始めれば止まらなくなる。

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