部屋と猫20080823
NHKアーカイブス ターシャからの贈りもの を見た。普段はテレビを見ることなどあまりないのだが、朝の十時ごろに寝ぼけて電源を入れるとターシャ・テューダーが映っており、そのまま蒲団にくるまって八十分間の番組を見てしまった。今日は昼過ぎになっても気温が十月上旬並みの十八度しかなく、けれど白い空から雨粒が落ちる気配もない。夏のあいだは室温が四十度を超えて蒸し風呂のようだった僕の部屋にも、やっとのことで平穏が訪れた、としみじみ思う。
窓の外から猫の鳴き声が聴こえて、どこにいるのかと玄関の扉を開けると、扉のすぐそばに寝転んでいた猫が慌てて階段を駆け下りていった。どうせすぐに戻ってくるだろうと思い、プランターの土のうえにエサを置いた。三分ほど待って扉を開けてみると、エサは持ち去られていて、階段の下から猫がこちらを見上げている。

部屋とネットと俺と猫 を書いてから、猫と出会うまで二ヶ月も掛かった。さらに時間をかければ距離を縮められるのか、撫でまわすことができるのか、あるいはこれ以上に野良猫と近付くことは意味があるのか。部屋に猫を招き入れることが禁じられているのは、畳に爪を立てられては困るから仕方がないとして、せめてベランダで触れ合えればいいのか。ターシャ・テューダーのように広い庭でたくさんの動物と触れ合えたなら、どんなに楽しいかと思うが、ターシャの庭は東京ドーム二十個分の広さがあるらしい。あまりに広くても手入れに困る。せめて陽の当たる、草の生えた庭があればいいなと夢想する。
庭を作るには時間がかかり、最低でも十二年だとターシャが語っていた。陽の当たる庭をいつか手に入れるまでは、現在借りている部屋を少しづつ住み良いように作りたいと思うが、しかしベランダに置いたプランターには葉牡丹が枯れてから何も植わっていないし、水槽では金魚藻が好きかってに伸びている、または遮光カーテンの裾が長すぎるから加工しなければと思い続けて二年が過ぎていたりする。鋏と針と糸さえあれば難しいことではないのに放ったらかしだ。

焦ることと急ぐことは違う、と人に言われたことがある。僕は少し急いだほうがいい。
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