ノート 3

Talkeetna

2007.7.1 路上 ― (George Parks Highway) ― Talkeetna

 ほとんど眠れていないが午前六時にテントを畳む。雨が降り続いている。自転車に積んだ荷物は水を吸って重く、冷たかった。雨に濡れながらチョコレートバーをかじり、パイナップルのネクターを飲み干した。空缶をくしゃくしゃに畳んで鞄にしまい、走り始める。針葉樹林帯を切り拓いた見通しのよくない道がえんえんと続き、時々、教会と小さな集落などを見る。何時間走っても景色が変わらず、道端に立てられたマイルポストの数字だけが増えていった。

 三十五マイル(五十六キロメートル)走ったところでドライブインらしきものを見つけ、ふらふらと入っていく。売店に入って一ドル九十九セントの菓子パンを買い、体が冷え切っていたのでコーヒーも頼んだ。店のオヤジが二種類の紙コップを手に取り、大きいほうは七十五セント、小さいほうが五十セントであると言った。小さいほうの紙コップをもらい、自分で魔法瓶から注いだ。砂糖を入れていないのに甘い香りが漂い、そのまま啜ってみると、やはり甘くはなかったが、強烈な旨みが口から喉へ流れた。寒さで手が震えるのを抑えながら、時間をかけて飲んだ。

 ここからタルキートナまでの距離はどのくらいか、と拙い英語でオヤジに訊ねた。クマのような風貌のオヤジは、しかしゆっくりと優しい声で、二十五マイルだと言った。ここからジャンクションまでが九マイル、そこで右に折れて、さらに十六マイルだ。礼を言って店を離れ、温まった体が冷めないうちにと先を急いだ。途中、立ち止まって菓子パンをかじる。蜜がしみこんでクルミの入った大きなパンを半分ほど食べ、再び猛然と走った。

 午後二時、タルキートナ到着。キャンプ場にテントを張り、観光を後回しにして眠る。夜になって飯を食い、この日記を書いて再び眠りにつく。四日間まともに眠れていなかった。乾いた服に着替えて寝袋に入り、十六時間、眠った。

コメント: 0)

ノート 4

湖

2007.7.2 Talkeetna ― Denali Viewpoint South ― Byers Lake Campground 105.7km

 長く深い眠りから覚めた。引き籠もっていたテントから出ることにひどく怯えながら、意を決してジッパーを開ける。どうってことはない。隣に家族連れで泊まっていたオッサンと握手などする。何を気に病んでいたのかと思う。

 自転車を押してタルキートナの町を歩いた。博物館に行き、植村直己の展示を見る。俺が生まれる五ヶ月前にこの町からデナリ(マッキンリー山)に飛び立った植村さんは、世界初の冬季単独登頂に成功後、そのまま消息を絶っている。捜索で見つかった遺品が展示されてはいるけれど、なんとなく、亡くなったことを信じ難い。彼の偉大さは、人を引き寄せる人柄にあったと思う。

 眠気がすっかり飛んで軽くなった体で出発。冬のあいだに傷んだ舗装を、短い夏のあいだに直すため、あちこちで道路工事をしている。橋の上で片側交互通行になり、STOPと書かれた標識を持つネーチャンと話した。この近くで子どものクマが先週捕らえられたこと、母クマがまだうろついていることを聞いて怯えるが「But you don't have to worry.」と笑われた。車列の先頭にいたオッサンまで一緒に笑うので、俺も笑った。

 単調な景色を走り続けて七時間、ようやく視界が開け、デナリを南側から望む場所に来た。デナリの語源はアサバスカンの言葉で「高いもの」。麓からの比高ではエベレストより高い。デナリの奥さんのあたるのがフォーレイカー山、ほかに子どももいる。マッキンリーの名は大統領から取られ、アメリカ地理学協会が決めたものが未だ覆らない。地元住民や登山家たちはデナリに戻せと主張。現在はデナリの名が広く用いられるが公式には未だマッキンリー。

ゴマシオ

 夜、キャンプ場で管理人のおばさんと話すが、ほとんど何を言ってんのか解らない。今日までに「Sorry, I don't understand English.」を何度言っただろう。気が小さいので開き直ることもできないのが哀しい。白飯を炊いてゴマシオふりかけたのが旨い。ココアも素晴しく旨い。吉本隆明『少年』を読んで眠ろう。時刻は二十二時五十二分。

コメント: 0)

ノート 5

森

2007.7.3 Byers Lake ― Broad Pass ― Cantwell RV Park 105.3km

 広野の真っ只中にホノルル、コロラド、ハリケーンなどという地名がある。何を考えて付けたんだろうか。道路沿いにはIgloo Cityという奇妙な建物もあった。巨大なイグルーに幾つもの出窓が付いたような異様な姿で、しかも廃墟と化しており薄気味が悪かった。大陸分水界であるブロード・パスに向かって徐々に高度を上げていく。道の両側に広がっていた森林は、逆に、その樹高を下げていった。ここまで来てようやく自分のいた土地の広さを目の当りにする。

Broad Pass

 ブロード・パスはその名の通り、前後のひどくなだらかな峠だった。分水界がどこにあったのか判らないが、いつのまにか北に向かって川が流れている。今まで見てきた川はすべて太平洋に注いでいたが、ここからはユーコン川に合流してベーリング海に向かうことになる。

 キャントウェルに着き、ガソリンスタンドに併設された売店に入る。チョコレート、ペプシ、ポストカードなどを買い込む。店主のおじいさんに百ドルの小切手を見せると、眼鏡を外して目を細め「Ten dollars?」と言った。とぼけているのかボケているのか判らないが、お釣りはちゃんと貰えたのが面白い。

 キャンピングカーばかりが泊まっているRV Parkの端っこに、僅かだがテントサイトがあり、そこに泊まった。四日ぶりにシャワーを浴びて服を洗濯した。夜、スパゲティを半分の長さに折り、コッヘルに入れて沸騰、ミックスベジタブルの缶詰とトマトスープの素を投入、六分くらい放置して出来上がり。スープ旨い。クマに備えて食料は管理棟に預けた。

コメント: 0)

乾いた雑巾を絞る

袋橋

 秋葉原の事件が起こった日曜日は、朝から、大塚公子『死刑執行人の苦悩』を読んでいた。ルポルタージュとしては慎重さを欠いたと思われる表現が幾つか見られたのは残念だったが、刑務官からの聞き書きはそれ自体が貴重でもあり、俺にとって知識面では意義のある本だった。

 乾いた雑巾を絞るという言葉は、トヨタ自動車の「カイゼン」(改善)における標語みたいなもので、乾いたように見える雑巾であっても絞れば多少の水が出るように、飽くことなく合理化を追求するというような意味合いを持つ。秋葉原事件の加害者、加藤智大はトヨタの下請け工場に派遣されていた。勿論、彼の犯行がカイゼンと直結はしないけれど、これ以上は反社会的行動に出るより仕方ないという閾値に達するまで、日々、乾いた雑巾のような自身を絞り続けていたのはおそらく確かで、その閾値がいくらか常人より低かったために絞れない雑巾を破いてしまい、自己破壊へ繋がっているように思う。

 乾いた雑巾が破れたときに内へ向かえば自殺、外に向かえば他殺、と単純には割り切れない。加藤智大が沼津市から秋葉原に向かう途中、派遣先の同僚に裾野市で会い、ゲーム機とゲームソフト数本を渡していて、加藤は「使わなくなったので、あげれば喜ぶと思った」と供述しているらしい。これと関連して思い出したのは、最近続いていた硫化水素自殺において、周囲を巻き添えにする自殺方法を選びながらも「危険、近付くな」の張り紙をしていた人々のことだった。犯した行為の重大さと相反するような、その些細な思いやりは何なのか。

 今年に入ってから死刑判決の下された、印象に残っている事件が二つある。長崎市長銃撃事件と、光市母子殺害事件だ。前者では殺害されたのが一名であり、また初犯であるにもかかわらず、民主主義への冒涜だとして極刑となったのが未だに解らない。懐疑的な論調をとるマスメディアが皆無だったことも不可解だ。後者については、法廷における加害者の異常な発言が取り沙汰されながら、彼の異常な生い立ちが報じられなかったことが気にかかる。

 光市事件の元少年が幼少時から父親に虐待を受け続けていたこと、小学生のときには母親が天井から吊り下がって死んでいるのを茫然と見ていたこと、高校のときには父親に鼓膜を破られたこと、これらの生い立ちがもしも報道されていたなら、あるいは百八十度とは行かないまでも世論が多少の転回を見せていたのではと思う。今さら取り返しのつかないことであり、おそらく彼は吊り下げられて母親と同様に死ぬけれど、取り戻せないのは被害者本人や遺族の側も同様で、誰も救われないし生き返らない。

 ただ、加害者の誰も、自分や他者を殺すことだけ考えていたのではなかった。気が狂っていたために犯行に及んだのでもなく、たとえば深川通り魔事件の川俣軍司のような人を除けば、判断能力が欠けてはいなかったはずだ。たいていは犯行後、我に返って自らの犯行を悔やむ。あるいは犯行を思い立ちながらも思いとどまる者と、実際の犯行に及ぶ者とに分かれるのは、罪を犯したかどうかという事後的な検証、その一点でしかないように思う。自身の判断について自覚的であるのは、自省としてしか有りえない。

 犯行後、長い裁判と勾留の末に、死刑判決が下され、ただ死ぬのを待つことになったとき、何を考えて過ごすのか。『死刑執行人の苦悩』には独房で小さな文鳥を飼う死刑囚の話が紹介されている。社会からは疎外されていた者が、自分にまとわりついて離れない文鳥と心を通わせるうちに、ようやく人間らしさを取り戻す。取り戻したところで社会に復帰できるでもなく死刑は執行されるのだが、それでも何も変わらないよりはいい。このエピソードは一九六〇年代のことで、現在の死刑囚はあらゆる自由を制約されて淡々と死を待つだけの日々を過ごすらしい。乾いた雑巾を絞り続ける。

 光市事件、秋葉原事件ともに、最終的には死刑が確定するものと思われる。誰もがそう望むのだから仕方ないが、本当に救いがたい不幸でもある。当り前だけど人間は乾いた雑巾などではないから、絞ったところで何も出ないし、そもそも絞るものではないはずだ。何より先に、人間を雑巾扱いする人々がいてはならないのだけど、そちらを叩くよりも雑巾を捨てるほうに目を向けている。別の新しい布切れを雑巾に変えて、また使い始める。犯人に対して非人間的だという前に、雑巾ではなく人間扱いをすべきだ。乾く前に水を与えていればよかった。

コメント: 0)

猫

 公園で野良猫と三十分くらい遊んできた。雨上がりの濡れたベンチにちょこんと乗っていた猫のとなりに俺が座ると、膝に上ってきて丸まってしまい、やたらと体を擦りつけてくる。俺は人間の友達があまりいないから猫と遊ぶしかないんだけど、猫のほうも同じだったんかなと思う。しかし人間の友達どうしで体を擦りつけることはないので(気持悪いもんな)、猫とか犬とかのほうが理解し合える面もあるのではないかなあ。本当は部屋で飼いたい。

 何かの拍子に強い疎外感を持ってしまったとき、受け容れてもらえる場所が自分にとっては公園で、猫とか鳥を撮っていると時々は人間にも話しかけてもらえる。昨日の公園では二匹の猫、三名の人間と関わりがあった。普段の生活ではバイト先でもほとんど話さなかったり俯き加減ではあるけれど、他の場所で相殺されるから何とかなっている。加藤智大の欲していた恋人があるいは叶わないにしても、体を擦りつける何かが部屋にいたなら、もしかして、などと考え始めて混乱してきたんで思考を止める。

 二浪二留(予定)の俺が大学を出てから派遣社員にならない保証はないんであって、だから今回の事件をまったくの他人事とは流せないし、鎌田慧『自動車絶望工場』に書かれていた期間工よりも劣悪な労働環境、というのは想像を絶する苦痛のはずで、ここに嵌り込んだ人々に対して安易な自己責任論を振りかざせはしないとも思う。

 などと考えながら猫と遊んでいても結構しんどいというか、どうしてこんなことに、と思った。アラスカ旅行記の続きは来週になったら書くかもしれない。あと来月末に大学の現地研究で愛知県へ行くことになりました。トヨタ自動車の企業城下町とか見学するかもしれない。どういう因果なんだ。

コメント: 0)

ホッテントリ

鳩

年収の上限を決めるべきだと思う はてなブックマーク - 年収の上限を決めるべきだと思う

 あたまのわるいことばかり書いていて恐縮ですが、はてな匿名ダイアリーに俺が昨晩書いた記事が、さっき見たらホッテントリ(Hot Entry)に入っていたので一応報告しておこうと思います。べつに面白くはないです。ほんとうにすみません。もっと罵ってください。写真は別所沼公園で撮ったホッテン鳥、じゃなくて鳩です。

コメント: 0)

黒白

FinePix S2Pro / Ai AF Nikkor 28mm F2.8D 

コメント: 0)

雑記

猫

 先週からxreaの無料サーバーがクラックされていた件について。トンボロは昨年八月にcoreserverへと移転しており、問題となっている広告の表示もないため、閲覧によるウイルス感染等の恐れはありません。けれども気になったのはxreaとcoreserverの運営会社であるDigiRockのアナウンスが言い訳に終始していることでした。今後の対応がとても不安。

 広角側が少し物足りなくなったので安いフィルムカメラを買ってみた。富士フイルムCARDIA Travel mini opが中古で千円。発売当時の定価は四万円。たいへんな時代になってしまったなと思う。バイトしている写真屋も、社員によれば三年以内には潰れるらしい。経営陣も含めて皆、路頭に迷ってしまえばいい。話が飛躍した。上の写真は百円のネガフィルムなんだけど、デジタル一眼レフより綺麗ですね。

 シネマアートン下北沢が閉館。一度しか行ってないけど残念。

コメント: 0)

今日の増田

 俺が「はてな匿名ダイアリー」(増田)を利用するのは、べつに匿名で何か言いたいとかではなくて、トンボロに書くよりもたくさんの人に見てもらえるから、という単純な理由によります。近藤淳也さんは早いところ増田を「はてラボ」から正式サービスに格上げしてくれないかなと思うのですが、収益上げるのが難しいんだろうな。月額五十ポイントくらいなら払うよ。

部屋とネットと俺と猫 はてなブックマーク - 部屋とネットと俺と猫

 引き籠もりの俺に「かっこいい」タグを付けてくれた人、ありがとう。現状はあまりかっこよくないのですが、十年後、二十年後には格好よくなっていたいです。

コメント: 0)

カラーフィルム

CARDIA Travel mini op / DNP CENTURIA 400

 昨年の今頃持っていたカメラにはY2フィルターを常用していたから、ファインダーを覗くといつも視界が黄ばんでいた。そのせいばかりでもないけれど昨年の旅行のことは思い出すのが楽しいようなシンドイような複雑な気持になる。吐き出したほうが俺の精神衛生には好ましいので明日から再開。

コメント: 0)

ノート 6

 ここまでのあらすじ。昨年行ったアラスカ自転車旅行の記録を今さら書いています。同じような写真ばかりですけど、同じような風景が何日も続いていたのだから仕方がない。

Denali National Park

2007.7.4 Cantwell ― Denali Nat'l Park ― Nenana 157.5km

 デナリ国立公園の入口にある売店でコカコーラの大きなボトルを買った。味覚が順調にアメリカナイズされている。「おなかが空いたらスニッカーズ」というCMがこちらでも流れているのかは知らないが、田舎のどんな小さな店でもSNICKERSは置いている。これのキングサイズをかじってコーラを飲んでいると、カロリーの摂取量はたいへんなことになるが、それでも毎日少しづつ痩せていた。

 国際電話を掛けようとしたが上手くいかず、売店のオッサンに手伝ってもらうが、やはり掛からない。傍を通りがかった日本人女性にオッサンが声をかけ、あいつを見てやってくれと言って逃げてしまい、残された女性が困った顔をしている。数日振りに「コンニチハ」と日本語を話した。大竹しのぶと原由子を足したような顔立ちの彼女は、こちらの人と結婚してアンカレジに住んでおり、日帰りのドライブに来ているといった。同じ道のりを四日間かけて自転車で来ました、と話すと驚いていた。身長二メートル近くありそうな旦那さんが「ガンバッテ、ガンバッテ」と両の拳を上下に振ってくれた。

 轟々と流れる灰色の川に沿って、峡谷の底を走った。遠くで雲が地上に垂れ込めている。あと十五分くらいで降り出すかなと思いながら早めに雨具を着込む。ちょうど十五分後に雨が降り出した。Tatlanika Creekのほとりにあるキャンプ場には、獰猛そうな白熊の描かれた看板が掲げられていた。クマに怯えながら旅行している自分には笑えないので通過する。

 ネナナの町に着いたのは午後十時を過ぎていた。路上で遊んでいる子どもたちにキャンプ場の場所を訊ねる。砂利道でも軽快に走る彼らのBMXを、重たい自転車で追いかけていく。案内されたRV Parkは閉鎖されていたが構わずに入り、テントを張った。明日はフェアバンクスに着いたら真っ先にラーメン食いたい、日本食なら何でもいい、とノートに書いた。

コメント: 0)

ノート 7

traffic controller

2007.7.5 Nenana ― Fairbanks 90km

 六十キロも続く丘陵地帯に疲れ果てたが景色は良かった。ハイウェイを建設したジョージ・パークスの記念碑に “I pissed on the monument!” などと落書きがされていてゲンナリしたが、どんな土地にも馬鹿者はいるのだから仕方ないことだ。丘陵を越えると、日本では考えられない規模の片側交互通行に出合った。写真のオッサンいわく三キロくらいだという。危ないから自転車ごとトラックで運んでやる、クッキーは好きか、ほら食べろ、とオレオを何枚か寄越した。成る程オレオとはアメリカの食い物だったのかと感心する。黒人女性の運転するピックアップトラックに乗せてもらった。短い夏のあいだアラスカに来て道路工事で稼ぐらしい。

 写真家の星野道夫が暮らしていた町、フェアバンクスに着いた。高校のときから七年越しの夢を叶えたことになるが実感は涌かない。極北とはいえここはアメリカで、モータリゼーションの国なんだと思った。片側三車線の大きな道路を大きな自動車が行き交い、段差の多い歩道をよろよろと自転車で走っていると、めったやたらと悲しくなる。これは何事につけても悲観的な性格である俺にしか多分当てはまらないのだが、無機質な冷たい町というのが正直な第一印象だった。幸か不幸か、これはあとで覆ることになるのだけど。

 ガイドブックで調べたBoyle's Hostelを訪れると、少し待っててもらえないかと髭のオーナーがいい、なぜだか一人の老女の前に連れて行かれた。「おれのママだ」という。大きな体を椅子に乗せてほとんど動かずに、顔だけをこちらに向けた。ゆっくりと呼吸をする度に、ゼー、ヒューと喉から音を鳴らし、眠たげな表情を見せる。「こいつは日本から来たんだが庭にテントを張らせてもいいか」と訊かれ、少し困った顔をして首を横に振った。あまり歓迎されていないのだろうか、参ったなあと思っていると、髭のオーナーが外に出るよう促した。「済まないな、残念だが君のガイドブックは古い情報を載せていたみたいだ」といった。以前はテントサイトもあったのだが閉鎖しており、けれども母親に掛け合ってくれたのだ。「近くにべつのホステルがある」といって電話を掛け、ピックアップトラックの荷台に自転車を放り込んだ。

 アラスカを走っている自動車は、後部に大きくTOYOTAとかNISSANなどと書かれている。全体の三割ほどがピックアップトラックで、錆び付いたような古いものが多い。乗せてもらった車にはTOYOTA TUNDRAと辛うじて小さく車種が書かれていた。勿論ツンドラのことだが、英語ではタンドラという発音になる。この車はトヨタじゃないか、トヨタはメイドオブジャパンではないかと話しかけると、髭のオッサンは歌うように「やまはー、かわさきー、ほんだー」といった。

 連れて行かれたのはダウンタウンから少し離れた位置にある住宅街だった。庭付きのやたらと広い邸宅が建ち並ぶなかにBillie's Backpackers Hostelはあった。ホステルから出てきたおばあさんと髭のオッサンが二言三言喋ると、荷台から自転車が下ろされ、オッサンは去っていった。よくわからないが俺はここに泊まるらしい。おばあさんに三泊すると告げて宿代を払い、建物のなかを案内された。ロビーに置かれた本は自由に読んでもいい(英語だけど)、キッチンやシャワーも好きなように使っていい、インターネットも無料だという。テントなら一泊で十六ドル、当時の為替相場で二千円。ここまでに泊まってきたキャンプ場や野宿よりは高いが、しかし快適そうだ。

party

 パソコンを使っている坊主頭の人がいた。肌の色からして東洋の人間だろうかと思い、画面をチラッと見たらmixiだった。日本人である。しかも話してみたら自転車旅行者だった。ほかにもアラスカ大学フェアバンクス校で聴講している日本人女性が滞在しており、やあ、日本語が話せる、めでたいなあと三人で固まってしまった。最初に案内してくれたおばあさん、ビリーが、冷蔵庫から牛肉を出して、あなたたち三人で食べなさいといった。

 庭ではテーブルをつなげて食事会が始まっていた。南米から自転車で走ってきたドイツ人とスイス人のカップルが、明日、最終目的地である北極海にいよいよ出発する、そのお祝いをしているのだという。宿に泊まっている人々がわらわらと集まってきて肉やソーセージを焼き、サラダなどを好きなように盛って食べていた。俺も好きなように料理をとって食べる。ここまでずっと一人で黙々と走り、一人で食事していたのだが、いまは人々に交じって笑いながら食べている、よくわからないな、素直に喜んでいいものかと思いながら食事を終え、芝生に張ったテントに引き籠もった。旅行しているのに引き籠もりとは一体どういうことなんだろう。

コメント: 0)

フィルムスキャン

鉄塔

 この写真は俺のだから良いけど、お客さんから預かったのでこんなゴミだらけのままスキャンしてCDにしたら、非常に困ったことになる。フロンティアだと4base(150万画素)で525円だけど、コダックに出すと16base(600万画素)で1050円くらいだったと思う。外注なんで日数かかるけど俺みたいな素人じゃないからゴミは入らないはずだ。デジタル一眼レフでは撮像素子のゴミ問題があるし、フィルムでも大伸ばしで焼くときには神経使うから、厄介だなあ。

コメント: 0)