五月20080501
五月といっても参議院議長の江田五月ではなく、月が替わりましたねえという意味での五月であり、ついでに政権も替わらないかなとか、そういうのはどうでもいいけれど、江田五月は参議院議長になった時点で民主党から党籍離脱しており、それはまた衆議院議長の河野洋平が自民党を離れているのと同様であります、などと書いても政治に興味のないひとにはつまらない話であるし、俺もそんなに政治には興味ないから、どうでもいいですね。
配布終了したWordPress ME 2.2.3から本家日本語版2.5.1にアップグレードしたり、よい機会だからアーカイブを見やすいようにテンプレートをいろいろ弄ってみたり、久々にwptags.comを見に行ったら閉鎖していたりで、暫くのあいだトンボロは403 forbiddenになったり不安定かもしれないですがご了承をば願います。
参考: WordPress Japan の閉鎖に伴う情報リンク集
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パーマリンク変更のお知らせ20080502
このたびWordPressのアップグレードおよびテンプレートの修正にともない、個別記事へのリンクが変わってしまったことをお知らせします。今まで四年近く /YearMonthDay.php としていたのが /Year/Month/Day/PostID になります。変えたくはなかったけど変わったものは仕方ないから、こんどはもう変えないぜ。
たとえば昨日の日記なら /tombolo/2008/05/01/185 のようなURLとなり、これはなんだかスラッシュで分断されすぎな感じがして本意ではないのだけど、こうしないとwp_titleが個別記事のタイトルを取得してくれないから厄介だ。一応は旧URLから新URLに転送されるように設定したいのですがmod_rewriteとか正規表現とかよくわからないんで少し時間が掛かりそうです。
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夜景、朝志ヶ丘20080506
昨日の銭湯は、菖蒲湯だった。しかしこういうのに疎い俺は、湯舟に浮かんでいる植物が何であるのか分からず、番台のおばちゃんに訊ねてみて、あれはショウブだよというので、分かったのだ。
そして銭湯帰りにまたカメラ持ってふらふら歩いていたら猫とか缶珈琲とか面白いものが幾つか撮れたので載せておきますね。夜中の零時過ぎ、団地の公園にしゃがみこんで猫と対峙している若い男、ていうのはやっぱり怪しいなと思うのだけれど、未だ通報されたり職務質問されてはいないから、職務質問されるまで頑張りたい。本気で今年の目標。
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トランジスタラジオ20080509

職場のゴミ箱に捨ててあったラジオを拾ってきて部屋の鴨居に提げてみたけれど、どうにも邪魔くさいから外してしまい枕元に置いて眠りについた一時間後、激しく揺さぶられて目を覚まし、電源を入れたとたん緊急地震速報のチャイムが流れたもんだから腰を抜かした。築何十年だか判らない古アパートの二階だから地震はいつも増幅されて伝わる。いつか立派な人間になって大きなスピーカーのついたラジオを買うまでは、アパートもラジオも壊れないでほしいと思った。
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暗い部屋20080510

「受容的」であるとは世界に向かって私を開くこと、世界に私を晒すこと、そして進んで私を解体させる勇気を持つということである。だが、この解体を通してしか私を再創造することもできないのだ。それは主体に対する世界の侵害を率先して求めていくということである。「受動的」であるということと「能動的」であることはこの一点において統一されるはずである。世界は客観的なものではなく、私は堅牢なものではない。相互に浸透しあう白熱する磁場、それが世界である。
(篠山紀信・中平卓馬『決闘写真論』)
カメラ屋で働き始めて八ヶ月、相当な数の写真が目の前を通り過ぎていったけれど、それらが自分の内側に浸透するようなことはなく、ただ右から左へ、上から下へ流れるだけだった。特にハイアマチュアが綺麗に作りこんだ作品であるほど顕著に感じたのだが、切り取られたフレームの外側へ鑑賞者の思念が向かうことを許さない、一面的な見方を強制する作品が多いように思う。
人が写真を見るのは、という言い方に無理があるなら、少なくとも俺が写真を見る理由は、写真を通して外の世界と向き合うためであり、そこに表現者の意図が介在する余地はなく、そもそも表現であってはならない。この考え方を突き詰めるとストレートフォトに行き着くのかもしれないけれど、技巧を全否定するのではなく、撮影者が見方や面白がり方を規定しないことが重要で、シャッターを切るだけですべては終わると書いていた中平卓馬の意図は、おそらくはこれに近いところにある。

もう少し踏み込んで話をすると、写真が発明された当初、それ自体が表現の手段になるとは考えられていなかった。針で開けたような小さな穴から差し込んだ光が、画家の入った暗い部屋の内壁に像を結び、画家は紙に描き写す、ただそれだけのことだった。昔と今と変わってはいないと思う。部屋の外は明るく、部屋の内は暗く、介在するのは部屋の扉で、カメラオブスキュラ(暗い部屋)を持った人間が自由に出入りはするけれど、写真を持ち帰って投影するのはやはり暗い部屋であり、写し出されるのは光だ。
だから部屋は暗くなければならないし、部屋を出て外へ向かうということは、すなわち光を受容すること、自身を外に晒すこと、写真を撮ることに繋がっていくんじゃないかなあ、なんて小難しいこと考えていたら夜になってしまって、部屋の内も外も暗くなったから俺は眠らないといけない。

また明日。

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加速20080513
下手な鉄砲だから数撃たなきゃ当らないと思ってここ三日間で二百枚くらい撮ったなかから綺麗なやつ九枚、といってもそんなに綺麗ではないけれど、ていうかとりあえず花を撮ればいいと思ってんのが浅はかですね、すみません。
サイト内にアルバム設置するよりは集客が見込めるかなと考えてはてなフォトライフに有料オプションを付けてみた。ついに、はてな村民になってしまった。過去数年間の旅行写真なども少しづつ整理して載せたい。同時にTumblrも始めてみたが目下のところ伊波さんだけだ。写真について前回ぐだぐだ書いてしまったけれど、僕なんかよりずっと巧い人は世の中にたくさん満ち溢れているわけで、フォトライフとかFlickrなんかを目を丸くしながら見入ってしまう今日この頃ですが、ごく稀に自分の写真がどこかで言及されていたりすると一週間くらいは喜んでいられます。はてなスターは先月から合計三つ頂きましたが未だ飢えておりますのでもっと寄越してください。どうも間もなく死にさうです。けれどもなんといゝ風でせう。
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カブ20080515

お客さんが店に持ってきたカブを誰も要らないというので俺一人で五個食べた。傷んでいる部分を捨てて菜っ葉は炒め物に、本体も切り刻んで炒め物に、というか炒めることしか能がないから野菜は野菜炒めになる。塩漬けの鶏肉を少し投入した。今年の夏こそは冷蔵庫を買いたいが金はあるかどうか。
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五月中旬20080516
給料が思いのほか沢山入った。善は急げつうことで中古の冷蔵庫を九千円で買った。容量が現在の十倍、百三十リットルもあり、冷凍室が付いている。飯の作り置きができるから食費が減ると思われる。
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四年前20080517
明日は久々に三社祭を撮りに行ってくる。浪人二年目だった四年前はF値とかISO感度なんて概念も知らずにシャッターボタン押すしか能がなかったけれど今よりずっと面白いものが撮れているよな、などと思うのは時が経って写真の記録性が増しているせいも多分にあるのだろうな。
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魚20080526

空腹であること、について、ずっと考えている。実際に腹がへっているかどうかではなく、いわゆるハングリーな状態について。活字にいつも飢えていて貪るように読書をするのが清く正しいハングリーさの表われであるとすれば、今年に入って二冊しか読書していない俺は飢えているのか飢えてないのか。
魚にエサをやると猛烈な勢いで食うんだけど、エサをやらなくても水草なんかを適当に食らうから死ぬことはない。同様に……というか、例えが適切か判らないけれど、人が他人と付き合うのは、他人を欲するというよりはむしろ自身の承認欲求を充たすためで、だからべつに充たされなくても死ぬことはなくて、適当になんとなく生きていける。このとき、次から次に大勢の人々と関わりを持とうと試みる人と、俺みたいに半ば引き籠もってなんとなく生活している人と、どちらがハングリーな状態であるのか。
ここで少しく話は逸れるのだけど一昨年の秋に書いた年月という文章が俺は大好きで、こんなんもう二度と書けないなあと思うくらい素晴しいと自画自賛したい。このとき住んでいた四畳半から、現在の広いアパートに移って、何が変わったかといえば、何もべつに変わってはいないつうか、より空っぽな方向に来ていて、拡がった入れ物を充たそうという気もあまり起こらない。物質的には冷蔵庫も買い換えたし水槽も置いているしで少しづつ充たされているけれど、相変わらず空っぽの頭には何を詰めたらよいのか、ていうか詰めていいのかどうか。ハングリーな状態を脱するのは割と簡単なことで、そこから脱しつつある人がハングリーさを唱えるのは何かが違うように思える。
本を読まない、映画を観ない、音楽も聴かない、食事もあまり摂らない、そういう人がもしもいるとすれば、厳密に考えれば彼こそがハングリー精神の持ち主ということになる。俺自身がどうなのかと考えれば、割と近い状態にはあって、腹は空いているはずなのに食べることがあまり好きではなく、目の前に食事を出されれば一応は食べて、旨いとは感じるけれど、積極的に旨いものを探していこうとは思えない。
考えがうまくまとまらないまま書いているから特にオチのない文章となって申し訳ないのですが、またべつの例えを出すとするなら、社会的に成功しているオッサンが大して食べていないホームレスに向かって「ハングリー精神がない」なんて言うのと似ている事象が、世間には割とあるんじゃないかな、あんたはその言葉を使う前にいまいちど「空腹」の意味を考えたほうがいいんでないかと思うわけです。断食明けには重湯しか食えないのと同じで、食いたくても食えない状況とか、あると思う。俺自身が今どうなのかはよく判らない。
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めし20080528

1/125秒 ISO-1600 F2.8 絞り優先AE -0.5EV
カツ丼を作った。蛍光灯の真下で撮ると色合いがおかしなことになる。最近のデジタル一眼にはホワイトバランスブラケティングが付いていて非常にうらやましい。あと最近はダイナミックレンジ拡大機能も多いけれど、露出アンダーで撮ったあと画像処理で暗部を持ち上げただけで、ただの階調補正であり、撮像素子自体のダイナミックレンジを拡げる機能はS5ProのハニカムSRにしかない。ここまでカメラ雑誌の受け売り知識。
料理の話に戻ると、見た目はよくないが味はよかった。明日は親子丼を作る。
(20時18分 投稿 / コメント+トラックバック 0 件)
ノート 120080530

昨年の六月から七月にかけて付けていた日記に少し手を加えて、写真と一緒に今さら載せてみようと思う。自分が何を考えていたのか思い出したい。途中まではただの旅行記だ。

2007.6.28 志木―浦和―松戸―成田 110.6km
2007.6.29 Anchorage 着, 26 street hostel 泊
成田ではテントを張らず公園のベンチに寝転がっていたらほとんど眠れず、空港では自転車を積むのに別料金で百三十ドルと言われて係員と口論になり、シアトルまでの飛行機では韓国人の大学講師と喋っていてやはり眠れず(楽しかったけど)、乗り継いだ飛行機でも緊張して眠れなかった。ふらふらになってアンカレジ到着。
夕飯を買って宿に行くと、綺麗なお姉さんが出迎えてくれた。この人がボーイフレンドと一緒にアルゼンチンから自転車で走ってきたこと、アラスカに着いてから子どもが生まれて、ホステルを経営していることは予め知っていたのだけど、俺は猛烈に眠かった。ほとんど話もできずベッドに倒れこんでしまい、しかし眠りは浅く、翌朝ふらふらのままで出発した。彼らとの会話で覚えているのは「Going to Arctic?」「Yes.」「Prudhoe Bay?」「Yes.」「Great!」くらいだ。褒められたのは有り難いが、とにかく眠りたかった。
(23時25分 投稿 / コメント+トラックバック 0 件)
ノート 220080531

2007.6.30 Anchorage ― (Glenn Highway) ― (George Parks Highway) ― Wasilla ― ?
三日分ほどの食料を買い、グレンハイウェイを北に向かって走り始める。ハイウェイとは日本でいうところの幹線道路であり、通行料金は取られないが、自動車はみな百キロ近い速度を出している。歩行者と自転車は進入禁止(pedestrians and bicycles prohibited)と書かれた標識が立ててはあるが、歩道の途切れた場所では路側帯を走ることになる。ピックアップトラックが警笛を鳴らしながら猛スピードで追い越していく。この国では日本以上に自転車の肩身が狭いようだ。
道端に停まってスポークの張り具合を調整していると、マウンテンバイクに跨った数名の兄ちゃんたちに挨拶された。どこまで行くのか訊かれてフェアバンクスと答えると、握手を求められた。信じられない、クレイジーだという。必ずしも俺は敵意を持たれてはいないんだな、と当り前のことを思った。
午後八時、ワシラに着き、湖畔の公園にテントを張った。まだ昼間のように明るい。小学生くらいの子ども二人に手伝ってもらい、少し話をする。地図を見せながら身振り手振りを交えたが、互いに半分ほどしか通じない。しかし愉快な気持になって飯を食い、寝袋に入った。前日もあまり眠れなかったが、ようやく熟睡できると思った。うとうとし始めたころに子どもの声が聴こえ、テントを叩く音がする。
少し焦った表情をして彼らが話すことには、ここでのキャンプはよくない、あなたは逮捕されるかもしれない、と手錠をかける手真似をする。きっと、妙な旅行者が公園にいると親に話したのだろう。親切心で言われているのは解るが、すでに日も傾いている。もしも警察が来たら話してみるよと子どもたちを説得して再び眠りにつくと、まもなくsecurityの腕章をつけたオバサンが現れた。荷物をまとめて出て行けと怒っている。もう午後十時半だ、どこへ行けというんだと俺も怒ってみるが、通用しなかった。
ワシラの町を出て、パークスハイウェイを走った。適当な空地に泊まれはしないかと探してみたが見つからず、一時間以上もだらだら走り続ける。雨がぽつぽつと降り出し、雨合羽を着る。このまま朝まで走ろうかと自棄を起こしたくなるが、その体力もなく、辺りに人家のない寂しいところで歩道にテントを張り、濡れた体で寝袋に入る。時々、大型トレーラーが轟音を立てて通り過ぎていく。日付が替わり、七月が始まった。
(19時51分 投稿 / コメント+トラックバック 0 件)














































