均衡20071208

一人暮らしを始めて三度目の冬、部屋の水槽にはヤマトヌマエビ、タナゴ、ドジョウ各一匹が泳いでいる。石油ストーブにかけられた鍋では、鶏肉とキャベツを使った得体の知れない料理が煮えている。部屋の外ではトウガラシ、ハボタン、パセリ、ダイコンが育っている。上手い具合に寂寥感を紛らわすことができていて今年の冬は乗り切れそうだと思う。拍子木を打ち鳴らして火の用心を呼びかける声が聴こえてきて、八王子に居たときの大きな火事を思い出した。
もうまもなく冬も終わろうというときに僕は部屋に籠って何もせず茫然として、ひびの入ったガラス窓の傍に寝転がっていたのだが、何故だか窓越しに黒いものがはらはらと落ちているのがみえて、窓を開けるとプラスチックの溶けるときの匂いが漂ってきた。部屋を飛びだし自転車で駆けつけた現場はアパートから二百メートルほどの距離で、封鎖された秋川街道と、浅川の堤防道路には、十数台の消防車が並んでいた。街道を挟んで向かいのドラッグストアの駐車場に野次馬が集まり、そこに僕は加わって消火の様子を眺めた。春一番ではないけれど南からの強風に煽られて、炎は三棟の住宅に拡がっていた。
爆発の危険があるからと警官が野次馬を後退させ、同時にかなりの熱風が感じられてきた頃、隣りに居た若い男女が何かに笑い転げていた。多分、火事に対しての笑いではなかったと思う。また近くでは別の男が携帯電話で火事の様子を伝えていた。一眼レフのカメラを構えている者もいたように記憶している。なんとなくその場を離れ、ひとまず部屋に戻った。遠目にみて煙が落ち着いてきた頃に現場へ戻ると、野次馬はほとんどが年輩者に入れ替わっていて、鎮火後の作業を静かに見守っていた。火事の熱気に中てられたようだった若い人々と、熱が抜けてしまったような老人たちと、どちらにも入れない疎外された自分があるようで、ここにはもう居られないと思った。
火事からそう経たないうちに身内で起こった別の事件をきっかけとして、実家に近い埼玉県志木市に僕は引っ越したのだが、あるいはその事件がなかったとしても長くは住んでいなかったと思う。某アパートの部屋には何よりまずベランダが無く、鉢植えやプランターを置けなかった。四畳半に置いた石油ストーブの熱に中てられて窓を開ければ、硬質な冷たい空気と即座に入れ替わり、程よく暖かい場所が無かった。
現在住んでいるところは二部屋合せて十畳の広さがあり、風呂は無いから銭湯に通っているが、広い湯舟に浸かることができるので却って得をした気がしている。火照った体で部屋に帰れば、当分は暖房を必要と思わない。あとは食事で熱量を摂って、蒲団にもぐってしまえばいい。実際にはここまで健康的な生活ではなく、多少は怠けている部分も残っていて、今後の二年ないし三年間をどう過ごせるか、と思う。何がしたいんだろうな。第一には地理学。第二はまだ無い。仕事に就く目途より前に卒業の見込みが無いな。
部屋を拡げたくなって用意したのは手作りプラネタリウムではなく国土地理院の地形図が四枚。縮尺二十万分の一、宇都宮と東京と千葉と水戸。これらを上手く張り合わせれば幅が一メートルの関東平野が出来上がる。壁に留めると部屋が関東平野の広さになった。部屋の広がりに合せて自分自身も成長できたらいい。取り留めのない話をここらで終わりにしてレポートを書く作業に戻る。
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