音

 図体が大きいから判り難いけれど飛行船は時速八十キロくらいは出ていたりする。今年の秋から桶川と六本木のあいだをツェッペリンNTが頻繁に行き来していて、志木の上空をほとんど無音で通過する。これが漫画だったなら「も゛も゛も゛も゛」のような擬音を使いそうだが、実際はそんな音はしない。

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均衡

 一人暮らしを始めて三度目の冬、部屋の水槽にはヤマトヌマエビ、タナゴ、ドジョウ各一匹が泳いでいる。石油ストーブにかけられた鍋では、鶏肉とキャベツを使った得体の知れない料理が煮えている。部屋の外ではトウガラシ、ハボタン、パセリ、ダイコンが育っている。上手い具合に寂寥感を紛らわすことができていて今年の冬は乗り切れそうだと思う。拍子木を打ち鳴らして火の用心を呼びかける声が聴こえてきて、八王子に居たときの大きな火事を思い出した。

 もうまもなく冬も終わろうというときに僕は部屋に籠って何もせず茫然として、ひびの入ったガラス窓の傍に寝転がっていたのだが、何故だか窓越しに黒いものがはらはらと落ちているのがみえて、窓を開けるとプラスチックの溶けるときの匂いが漂ってきた。部屋を飛びだし自転車で駆けつけた現場はアパートから二百メートルほどの距離で、封鎖された秋川街道と、浅川の堤防道路には、十数台の消防車が並んでいた。街道を挟んで向かいのドラッグストアの駐車場に野次馬が集まり、そこに僕は加わって消火の様子を眺めた。春一番ではないけれど南からの強風に煽られて、炎は三棟の住宅に拡がっていた。

 爆発の危険があるからと警官が野次馬を後退させ、同時にかなりの熱風が感じられてきた頃、隣りに居た若い男女が何かに笑い転げていた。多分、火事に対しての笑いではなかったと思う。また近くでは別の男が携帯電話で火事の様子を伝えていた。一眼レフのカメラを構えている者もいたように記憶している。なんとなくその場を離れ、ひとまず部屋に戻った。遠目にみて煙が落ち着いてきた頃に現場へ戻ると、野次馬はほとんどが年輩者に入れ替わっていて、鎮火後の作業を静かに見守っていた。火事の熱気に中てられたようだった若い人々と、熱が抜けてしまったような老人たちと、どちらにも入れない疎外された自分があるようで、ここにはもう居られないと思った。

 火事からそう経たないうちに身内で起こった別の事件をきっかけとして、実家に近い埼玉県志木市に僕は引っ越したのだが、あるいはその事件がなかったとしても長くは住んでいなかったと思う。某アパートの部屋には何よりまずベランダが無く、鉢植えやプランターを置けなかった。四畳半に置いた石油ストーブの熱に中てられて窓を開ければ、硬質な冷たい空気と即座に入れ替わり、程よく暖かい場所が無かった。

 現在住んでいるところは二部屋合せて十畳の広さがあり、風呂は無いから銭湯に通っているが、広い湯舟に浸かることができるので却って得をした気がしている。火照った体で部屋に帰れば、当分は暖房を必要と思わない。あとは食事で熱量を摂って、蒲団にもぐってしまえばいい。実際にはここまで健康的な生活ではなく、多少は怠けていたり病んでいる部分も残っていて、今後の二年ないし三年間をどう過ごせるか、と思う。何がしたいんだろうな。第一には地理学。第二はまだ無い。仕事に就く目途より前に卒業の見込みがまだ無い。

 部屋を拡げたくなって用意したのは手作りプラネタリウムではなく国土地理院の地形図が四枚。縮尺二十万分の一、宇都宮と東京と千葉と水戸。これらを上手く張り合わせれば幅が一メートルの関東平野が出来上がる。壁に留めると部屋が関東平野の広さになった。部屋の広がりに合せて自分自身も成長できたらいい。取り留めのない話をここらで終わりにしてレポートを書く作業に戻る。

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無題

 人込みが苦手なせいでライブやコンサートには一度たりとも行ったことはないのだが、来年の三月一日は日本武道館に行こうと思う。俺が大学の入学式やった場所じゃないか(笑)。一月にフルアルバムが出ると思ったらsyrup16gが解散。好きなバンドが悉く売れないうえに消えていってしまうなあ。

 バイト先のカメラ屋で、某商品の受注数ランキングが発表されて、近隣五店舗でスタッフが数十人いるうちの第一位が俺になっていた。これは実力があるという話ではなく、偶然に大量の注文があったときレジにいたのが俺というだけだ。店の利益よりお客さんの財布が大事、と考えている自分が利益率の高い某商品を売り込むことなどできるはずはなく、むしろ安いほうを勧めている。来店一回あたりの単価を上げるよりは、来店回数を増やしてもらったほうがいい。販売のためのカメラの知識は随分と増えてきた。写真の現像やフィルムの知識はまだ足りない。お客さんの名前は結構覚えた。これからもっと覚える。

 自分の好きな曲だって毎日は聴けないというのに、有線放送というやつは実力のない人たちの曲をなぜ殊更に取り上げて流すのだろうと疑問に感じてしかたない。具体例を挙げて申し訳ないけれど音速ラインの『青春色』がスピッツの『ホタル』と似ていたり、FUNKY MONKEY BABYSの歌詞がひどく陳腐なうえに歌も聴くに堪えないほど下手だったり、らき☆すたのキャラクターソングが幾つも流れたりする。たとえば実力のある少数を切り捨てることで実力のない人たちおよびそれを取り巻く人々の既得権益を確保しているのでは、と考えたくもなる。考えすぎるとバイト先から逃げ出したくなったり、あるいは現在でも有線放送は秘かに音量を下げている。

 ある人の周りからの評価と、実際の力量、その人自身による評価(自信)は、何ら無関係なんだなと思う。続けていくためには売れる必要がある。たとえば、くるりの『街』に岸田繁は自信を持っていて、一部からは実際に評価が高いとしても、CDシングルが僅かに四千枚しか売れなかった事実は、その方向性で続けていく気力を喪失させるに充分な重さがある。たしか五十嵐隆が二万字インタビューで語っていたのは、売れないと意味がない、稲葉さん(B’z)や桜井さん(Mr.Children)ほどまではいかなくても、という内容だった。

 ここまで酔った勢いで書いているから随所で支離滅裂になっている恐れもあるが構わずに続けると、真面目に曲や歌詞を考えていては駄目で、評価されるための方法を考えていても駄目で、つまりは実力など無関係に、売り出すための方法やパフォーマンスが必要とされているように思った。いやな渡世だなと嘆いてしまえばそれで終りだけれど、終らないとすれば、どう続ければいいのか。

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扮装

 バイト先の休憩室の棚の上の箱の中の紙袋、と文章にすれば少々ややこしいところからサンタの衣裳を見つけて、帽子と髭と上着とズボンを身に着けると、日頃は眠っている何かがふつふつと涌きあがってきた。この恰好のまま自転車に乗って忘年会に現れたら割引するよと店長は言うが、しかし忘年会は二十七日だから、ちょいとばかり羞かしい。ここまで書いてふと「羞かしい」の送り仮名は正しいのかどうか不安になって検索をかけてみたら、「羞ずかしい」が一番多くはあるのだが、何故だかフランス書院の官能小説ばかりが出てきて本当に羞かしく思ったので「羞かしい」にしておきたい。明後日からは店で唯ひとり俺だけがサンタに扮装し、店頭でティッシュを配ったり子どもにオモチャを渡したり、レジを打ったり年賀状の受付をしたり、髭を着けたままお客さんにカメラの説明をしたりすると思うが、怪しまないで頂きたい。千二百万画素の機種としては富士フイルムのF50fdが横顔を検出できるしハニカムCCDなので綺麗ですよとか髭を着けたまま言うかもしれないけれど、気にしないで貰いたい。余談だけれど富士フイルムは富士フィルムではなく、キヤノンと同様に、拗音を小字で表記しないのが正しい。

 仕事を終えてサンタの帽子を脱いだかわりに自転車用ヘルメットを被り、らんらららんと愉快な気分で歌いながらセブンイレブンに行った。奮発して弁当と缶酎ハイと東京新聞を買おうとすると、新聞が百三十円だと店員は言い、頭の中で盛大に咲き乱れていたお花畑が一瞬にして台風による塩害にやられたような気分になった。東京新聞の朝刊は百円だと懸命に伝えたのだが、紙面には一部売りの定価が示されていないし、レジには百円の新聞なんてボタンがありませんから、という三名の店員に気圧されてしまい、渋々と百三十円を払った。あまりにレジでごねてしまうとクレーマーのようで互いに気分がよくないから、後日あらためて返金を求めに行って、ついでに缶コーヒーなんかを買ってみせるのが大人の対応だろうか。僕はプリンタ代わりにネットプリントを愛用しているからセブンイレブンを使わない訳にはいかないのだ。あと、僕は接客業をしているのだから、客が立腹する事例や、取るべき対応について、考えを深める必要がある。

 仕事の休憩中に見ていたテレビで、象が足し算をできるという研究について映していた。東大の博士課程で学んでいる女の子が話していたのは、彼ら象たちが賢いのは単独でなく群れで行動することによりコミュニケーション能力が磨かれ、知性の発達に繋がっているためでは、ということだった。俺は足し算ができるだけでなく知性をもっと伸ばさないといけない。懐の深い、立派なサンタになりたい。

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魚暑と書いてシイラ

 NHK首都圏ネットワークで放映していた地球温暖化特集、新潟ではスケトウダラの漁獲量が減ったかわりにシイラが揚がっていて、練り物のコストが高騰しているとあったのだが、原材料にシイラを使えばいいじゃんと思った。東京湾で熱帯魚がみられる話もあったけれど、本当にそれは温暖化のせいか。サカナについてはほとんど無知なので言えることは少ないけれど、たとえば多摩川の水温上昇は温排水の影響が大きいこと、多摩川の注ぐ東京湾は水深二十メートル程度と浅いために外洋との海水の入れ替りがあまりないこと、少なくとも横浜の熱帯魚はこちらが原因ではないか。鶴見川も下水道からの温排水は多そうだ。

 今朝、制服のズボンを乾かそうとストーブのうえにかざしていたら、もくもくと湯気があがり、ぼうっと眺めていたのだが、しばらくして湯気には白煙が混じっていると気付き、ズボンを見ると、内股の部分がみごとに融けていた。新しいズボンは支給されることになったけれど、人に事情を説明する度に笑われて、笑われることで距離感が縮まったような気がしているのでまあいいか。

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