20061127
大通りの踏切がひどい渋滞で動かないときは、歩行者と自転車専用の小さな踏切に向かう。遮断棒が下りて列車を待つ間、自分のバイクのエンジン音が場違いなようで落ち着かない思いをし、エンジンを止める。配達の仕事において交通法規を必ずしも遵守していないことには度々苛まれていて、この仕事を一年余り続けているが未だ割り切れずにいる。独りで勝手に卑屈な思いをしながら、昨日も踏切に立っていると、前にいた老婆がその隣りの主婦らしい人に何事かを頻りと話し掛けていた。警報機が鳴り響く中で耳を傾けてみれば、この踏切の近くで数日前に火事があったのだという。
お茶会の途中で、おばあさんが昼食の時間だといって自宅に帰り、餅を焼いていて少しばかり外に出ていたら炎が上がった。消そうとしたんだろうね、中に戻って助からなかった、そう語る老婆の声に翳りや湿った様子は無く、彼女自身がすでにおばあさんであるのに、おばあさんが火事で死んだのだと話している。穏やかな横顔を見せながら、餅を焼いていただけなのに儚いものだねという、その姿がどことなく瀬戸内寂聴の説法のように見えてきて、踏切をバイクで渡ることなど些細なことだ、有り難やと思う。
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