黄道記 - 4

青函

 津軽海峡の冷気をそのまま二等船室へ取り入れているのか、雑魚寝の人々はみな震え上がり、毛布の数が足りないために腕を半袖に仕舞いこんで表面積を減らしていた。函館は気温が十七度、風速は六メートル、湿度は八十八パーセント、これらの数値をミスナールの計算式に代入すると体感温度は八度であったらしい。それでも花火大会だった。

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黄道記 - 5

鶚

 夏休みの正しい過ごし方はインドアで読書に耽ることだと思うのでつまり俺は誤っているのだけど、毎日少しづつ、カポーティの『冷血』を読み進めてはいた。旅行自体への興味が薄れていたのか、最北端で折り返したときに大した感慨は無く、但し笑ってしまうくらいにオホーツク沿岸は景観が佳いので、この頃は毎日が愉快だったように思う。

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黄道記 - 6

サロマ湖

 レンズにY2フィルターを着けていた為、いつも若干暗めの黄ばんだ景色を見ていた。ここから彩度を抜くとさらに暗い絵になる。紋別から網走にかけての数日間は実際には眩し過ぎるほどの日々で、気温は三十四度に達した。僕は監獄博物館で倒れそうになり、湖畔のテントに戻ると発泡酒を呑み、余計に体が火照って身悶えた。

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黄道記 - 7

野付半島

 長さ三十キロメートルの砂嘴、野付半島の中程まで走った。サイトにトンボロと名付けたように僕は砂州や砂嘴のたぐいが好きで、ゆえに野付を目的地と定めて一年間を過ごしてきたといっても差し支えない。半島の先端にはかつてキラクと呼ばれる歓楽街が在り、武家屋敷が並び、遊郭や鍛冶屋までが在ったという伝承がある。出漁基地が在ったことは確かだが他はフィクションである説が強いらしい。実際、遠浅の海に砂礫が堆積しただけの土地にそれらが在ったとは信じ難く、現在も相当の速さで半島の形状が変わりつつある。

 この頃に漁船拿捕の件があり、国後島の古釜布に連行されていったのだけど、海峡の対岸にある標津町では、ラジオのNHKニュースを聴きながらバターピーナツを食べていたりした。トリスのポケット瓶もぐいぐい飲んでた。

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