夜行記 - 1020050903
頭と体を少しばかり病んでいるので最近一週間の出来事については割愛。那覇市内で一泊千円の安宿に避難している。近所のスーパーに行く以外、引き籠って読書。台風が過ぎ去ったらば本島一周に出掛ける。出発前には五十九キロあった体重がそろそろ五十三キロ台に入りそうだ。脚が細くなった。以下、メールの返事。
ととろ駅ナイス。カルデラって一面平らで、なんだか不思議な気持ちにならないか? 自分も、また歩いてどっか行こうかなと思った。諫早湾は民主党は開放するんだっけ? 今回の選挙では言及しているところを未だ見てないな。
カルデラは外輪山が同じ高さで取り巻いているのが不思議だった。あまりに大きいので途方に暮れる。八王子みなみ野あたりの小さな世界を懐かしく思った。民主党は前回の長崎知事選では金子氏を推薦していた気がするよ。今回の選挙ではマニフェストを読んでいないから言及しているか否かも知らない、というか俺は投票できんのだろうか。
とりあえず首里城まで行って、首里そば食べなよ。うまいよ。あと、新垣カミ菓子店のちんすこうも。
首里城まで行って城壁を外から眺め、節約した入場料で首里そばを食べに行くと混んでいたので、牧志市場の店でゴーヤチャンプルーを食べました。沖縄産のゴーヤは苦味が少ないと予め聞いてはいたけど本当に旨かったです。市場で試食したゴーヤの漬物は、微妙でした。
船室って取ってあるのかい? 授業で伊豆大島に行ったときは廊下で寝た。でも料金はそんなには安くなかった。
カーペット敷きの広間に蒲団がたくさん並んでいて、切符を買うときに指定席番号を貰うけれど、実態は指定蒲団。ちなみに料金は学割適用と自転車を合わせて一万二千三百六十円。

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夜行記 - 1120050904
二段ベッドの上段に横たわり、窓の外の大きく揺れる木を見ている。こんな遠いところまでどうして逃げてきたかといえば自己変革とか大層なもんではなくて、ただ、静かな砂浜にテントごと半ば埋もれて眠ることを夢想していたからに過ぎないけれど、沖縄本島南端の岬に着いたとき、呻き声すら出てはこなかった。音のない場所のないことがどれだけ絶望的かを伝えるのは諦める。絵具を溶かしたような青色の海と、風にゆれる背丈の高い草、ラジカセから流れる音楽、音楽の発信源である物売りの軽トラックは缶飲料をばら撒きながら海に落ちればいいと思った。
一方では帰る場所が見つかったと安堵していた。毎年二万人が沖縄県に移住していることを思い、自分もまた離れ難くなることを恐れていたけれど、ここに定住したいとは思わない。綺麗なのは海だけだった。誰かの文章か格言だったか、若い時分に訪れてはいけないとされている場所があり、最早その土地に行くしかないと思い始めた。来週には東京行きの船に乗って帰る。来年か再来年には行って走れるように準備を始めたい。台風が去らないので今日は昼にペンネを茹でて食べた。また眠りにつく。
首里そば断念したか。残念。牧志の近くなら丸安そばがいい。もしかしてそこでゴーヤーチャンプルー食べたかな。
当時、空腹で倒れかけていた為、店の名前は見なかったのでした。市場では青切り蜜柑を買って食べた。酸味があって旨い。
体重が減るのは、まるでマラソンみたいだなぁと感じた。沖縄まで自転車ってじっさい物凄い。大事を成し遂げたあとはゆっくりしてけばいいさ。あんますることないかもしれんけど。ケータイってどれくらい点けてます? そして充電はどこでやってる? 公園とか適当なビルとかで電気を盗む? それともコンビニでカネを支払って? 今度歩いてどっか行くときの参考にしたい。
ほつれた服や、こわれた鞄の修繕など、することはたくさんあるさ。自分はむしろ甘いと思ってた。暑いときは大型電器店に入ってマッサージ機で眠ったり。店からすれば迷惑。携帯は朝と夜にまとめてメールを受信するとき以外、電源を切ってた。これでけっこう長く保つ。単三乾電池二本使用の充電器を持ってる。でも敢えて君には盗電を薦めてみる。

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夜行記 - 1320050908
本島に暮らすならヤンバルだと思った。名護以南は人が多すぎて今となっては海も綺麗には見えない。明後日からゼミの仲間と合流して彼らと遊んで、あと、摩文仁を訪れれば、終わり。諫早市に上陸した台風によって山陽道が崩れ、錦帯橋は橋脚が流され、高千穂鉄道は橋が無くなり、垂水では川に人が呑まれた。通過してきた場所が悉く破壊されている。台風とは関係ないけど見沢知廉が亡くなった。埼玉に帰ればマンションの建設が始まり、柿農園が消えてんのだろう。ちょっとなんだか慌ただしい。
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夜行記 - 1420050913
「下水道 いつか私に 戻る水」
という標語を、豊見城の国道沿いに見た。循環する水を大切にしようと言いたいのだろう。
「下水道 いつか私が 通る道」
自分でも考えてみたが、とても、いやだ。
ゼミの人々は飛行機で東京へ帰った。彼らの水遊びに付き合ったけれど、内輪で遊ぶだけなら沖縄まで来る必要もなく、遊び場は関東に幾らでもある。つまらないから途中で抜けて本を読んでいた。沖縄くんだりまで来て読書かいとも思った。
本島南部を一人で巡った。摩文仁の丘には都道府県ごとの慰霊塔が建てられている。埼玉の塔に献花して手を合わせた。隣接する平和祈念公園には沖縄戦の戦没者氏名の刻まれた石碑があり、そこに錦三さんの名を確認した。僕の祖父の兄にあたる。ここに眠ってはいないが、しかしここではよく眠れそうだ。赤蜻蛉が海風を受けて空中に静止していた。羽音すら聴こえない。
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夜行記20050917

三千二十七キロを走った四十八日間の旅行から戻ると、部屋には七月のカレンダーが掛かっていた。近所の柿農園は綺麗さっぱり消えて見通しがいい。ほどなく六階建てのマンションが建つ。街の変化の速さはシムシティに近いものがある。以下、書きそびれた事を幾つか。
沖縄本島では本土から移住した人々数名と会った。埼玉から旅行に来てそのまま住み着いた二十五歳、脱サラして宿を開いた神奈川出身三十八歳など。積極的に定住を試みている場合もあれば、亜熱帯の気怠さと貧乏で動けないという場合もあった。或いはまた島に生まれて島から一度も出たことのない四十代の料理人もいた。彼らについての考察は省略。
長崎県大村市のTさんには松川事件の話を聴いた。被告人支援の為に東京から歩いて仙台高裁の無罪判決に立ち会った事、それが原点だと話していた。自分にそういうものがあるかどうかは判らない。一度関ったら逃げられないと考えるのは卑怯に違いないのだが、個人の活動でなく、何らかの集団に関ることには抵抗感があることを否めない。けれど諫早湾とは一生涯、付合うことになるとは思う。遠くからではあっても眺め続けていたい。
鹿児島から那覇行きの船では韓国人留学生や無職中年男性と隣合せの席になり、オリオンビールと発泡酒の宴会になった。沖縄上陸後の三日間はライトバンの屋根に自転車を載せて三人で旅行していた。彼らとはいつか再会できればと思う。
The Milepost 2005 を買った。
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